~語るべきことなど何もないのに~
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神聖かまってちゃんが正真正銘のロックバンドであることの理由を以下三段論法で簡潔に述べると、
ロックの本質はノイズである。
神聖かまってちゃんはノイズである。
したがって、神聖かまってちゃんは正真正銘のロックバンドである。
ということになる。
神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まないっ」はちゃんとした曲であるにも関わらず、ノイズであるとはどういうことか。ノイズとは何ぞや。
例えば、暴走族。夜中にアクセルをふかすのはさぞ楽しいのだろうが、近所迷惑でしかない。
また、自分で黒板をひっかく分には楽しいけど、他人が黒板をひっかいた音を聞かされるのは耐えられない。
あるいは、自分の屁はなかなかいい香りのするものだけど、他人の屁を嗅がされようものならどうしたことか。
ロックについても同様で、時代は俺たちのものであると公に向かって叫ぶ行為は基本的にはた迷惑なものでしかない。
つまり、曲、詩に乗せられた具体的なメッセージが反戦平和であれラブソングであれ、その根底には共通して時代は俺たちのものであるという若者特有の勘違いが込められているのであって、本来そういうノイジーなものをロックと呼んだ。それが、圧倒的なカリスマ性とか才能によってはじめて正当化されていた。
先日、神聖かまってちゃんがNHKの音楽番組に出演した際も、最後にボーカルがカメラに近づき、「全国のバンドマンに告ぐ。時代は俺のものだ」などと無意味なことを繰り返しほざいていた。だから、神聖かまってちゃんは正真正銘のロックバンドと思ってもらって間違いない。
ちなみに、ノイズであるということと、演奏能力や歌唱力の有無は比例も反比例もしない。
だから、神聖かまってちゃんの「ロックンロールは鳴り止まないっ」が美しい曲であるということと、ノイズであるということの間に矛盾はない。
「ロックンロールは鳴り止まないっ」には中毒性があるといわれる理由も、ここから説明できる。
それはメロディーが美しいからという瑣末なことではなく、
時代は俺たちのものであるという若者の原始的な叫び(primal scream)がダイレクトに伝わるからである。
ロッキングオン風に言えば、
原始的な叫び、即ち「初期衝動」が持つ直接性。
MD取ってもイヤホン取ってもなんでだ全然鳴り止まねえ
このフレーズのときにギターを叩きつけるシーンは、本物のロックに触れたときの感触を端的に言い表していると思う。
参考
かつてロックは、若者のプライマルスクリームを鳴らす有効な手段だった。
しかし今は、そうではない。
ロックが鳴り止んでしまっている、と断言するのにはためらいがあるが、少なくとも「ロックンロールは鳴り止まないっ」のPVに登場する前世紀のロックスターのように危険な眼をした若いバンド、神聖かまってちゃん以外に私は知らない。
以上から神聖かまってちゃんは素晴らしいと思う次第ですがしかし、彼らも時代の流れの中でたまに聞こえてくる奇声としてすぐに忘れられてしまうことでしょう。
ただ、どんなに時代が変わってもロック的なもの、若者の原始的な叫びなるものは原始的であるがゆえになくならないのであって、だから、「ロックンロールは鳴り止まないっ」と言えるわけです。
とはいえ、ロックが前世紀の遺物、時代遅れの表現ジャンルに成り下がりつつある状況(であることはとっくの昔から言われてることだけど)に危機感を持たない者に本物のロックは鳴らせないのであって、そこから目を背けているようでは、放課後ティータイムみたいなアニメキャラのロックバンドにすら売り上げで負け続け、いつの間にか相手にされなくなる。まあもう、なってんのかな。
「ロックンロールは鳴り止まないっ」は、そんな時代の中で今現在ロックが鳴らせる唯一の正解ではないかと思う。
最後に昔話。
10年ちょい前にプロディジーが幕張メッセでやったライブは、本当に身の危険を感じるものだった。みんなステージそっちのけでただ暴れに来ているだけ。自分の周りに注意を払ってないと骨折しそうだった。私も含めて馬鹿ばっかだった。
あれから約10年。サマソニで見たプロディジーのライブは、そりゃもう安全に楽しめるものだった。彼らも我々も歳をとったというかとにかくもう、時代じゃないんだなーと思った。ゆらゆらも解散しちゃいましたしね。さすがに。
毎年行ってるフジロックも、私は寝たり食ったり雨に濡れたり金を落としたりしながら、ロックの残りカスを見つけては自分に浸ってるだけかもしれません。よくわかりません。自分の身の回りのこともありますので、今年は距離を置くつもりです。
・・・・まあ、
マッシヴアタックだけは観にいこかな(ノ∀`)
高速片道2000円はでけえしw
以上で、また夏まで更新をお休みします。ではでは。
・長島☆自演乙☆雄一郎は素晴らしい。
もともと日本拳法なり空手なりの心得はあったらしい。が、真性の二次元萌えらしく、出身格闘技の欄には「アニメ」と書くイタさ。そういう人間は人前に出てきてはいけないと思っているので、本当にイタい目に遭ってしまえと思っていたら、K-1トーナメント優勝。しかもちょっと感動してしまった。
何よりすごいのは、決勝戦でのKOパンチとそれまでの流れが、まさにアニメ的カタルシスを感じさせるものであったこと。ピンチになったけど倒れず頑張って頑張って最後の逆転必殺パーンチ!みたいな。リアルアニメじゃんていうね。相手の顔は狙ってても、そういうシナリオは狙ってなかっただろうなあ。セコンドの
「ここで負けたらただのオタクだぞ!」
は絶対狙ってたと思うけどw
・亀田興殻は素晴らしい。
亀田ファンの私としては、非常に気分が悪い。べつに負けたことはどうでもいい。チャンピオンとして特別強いわけではないことは、素人の私でもなんとなくわかってたし。ただその、アンチが掲示板で
酒うめえwwww
とか盛り上がっているのが非常に気分が悪い。そういった人の大半が人生負け組だろうに、そんな彼らが一体どんな笑顔で
酒
う め えwwwwww
と書き込みをしているのか、想像すると怖くなる。
ボクシングで八百長があるとかいう話はよく聞く。そのテの話を得意げにしたがる人が知り合いにもいるけど、そういう人に限って普段から話を聞いてもらえないタイプの人間であることが多いのは何故だろう?
まあそれはいいや。
ボクシングがプロスポーツとして成立するためにはショーになることが絶対必要で、およそショー的なものにはシナリオがあるのが普通。そのシナリオの強制力が強いのが八百長で、弱いのがいわゆるスポンサーの意向ということなんじゃないですかね?必要悪というか、さすがに八百長マンセーとまでは言わないが、結局は程度問題。さらに物の見方の違いが掛け合わさるのだから、部外者が八百長だ!悪だ!亀田氏ね!と目くじら立ててもしょうがないよなあと思う。私は嘘も真実もどうでもよくて、もっともらしい嘘に興味があるので、もっともらしくしてくれればそれでいいのですよ(まあ私に限ったことではないと思いますけど)。
今回のタイトルマッチは亀田が負けたから八百長がなかったとかそういうことではなく、もともと亀田が勝ったバージョンと負けたバージョンでシナリオが用意されていて、次回のシナリオは亀田リベンジ!になりました、とただそれだけのことでしょう。勝ってたら次回は内藤との再戦だったのかも?
なんでこんなことが言えるかっていうと、まず最初の亀田のストーリーは、
親父にチャンピオンベルトを渡す
でした。これをクリアした後は、ファンもアンチも巻き込んでの亀田人気である程度引っ張った後に、
内藤と因縁の対決をする
これもクリアしてしまって、亀田にストーリーがなくなっていたのです。だから別のストーリーが必要だった。
この根拠のない推測をどう取るかはあなた次第。私もどちらでもいいです。
なんにせよ、お金になる(シナリオに乗せやすい)人である限りリングに立つことを許され、お金にならなくなればポイ捨てされる。八百長云々よりこっちのほうが厳しい話だと思うけど、そんな醜い世界の中でもなお己の闘争本能をリング上で燃え上がらせんと日夜努力するボクサーの皆さん、本当に偉いです。ボクシングジムに入るも、つらくて一ヶ月でやめた過去を持つ私が言うんだから間違いないw
・・・で、本当は亀田興殻及びその家族の擁護論文を書くつもりだったけど、疲れたのでまたいつかの機会に。
次回:神聖かまってちゃんは素晴らしい。
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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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