~語るべきことなど何もないのに~
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先日放送された「ほこ×たて」
日本のラジコンヘリ,ラジコンカー,ラジコンボートと,アメリカのスナイパー3人の勝ち抜き戦。
放送では,ラジコンヘリ,ラジコンカーが2連敗したのち,ラジコンボートが3連勝したことになっているが,実際はそうでなかったらしい。
そのヤラセというか演出過剰というか嘘八百というかはさておきそんなようなことを理由に,今後同番組の放送が「取りやめ」となった。
本田アナが結婚を理由に同番組を辞めて残念なところに追い打ちのダブルパンチでしたよ。
もちろん放送も見てました。
第3ラウンドのラジコンボート対スナイパー
ボートが100mの水面をわずか1秒ちょい(!)で駆け抜ける,その間に弾を当てなければならない,しかも1発勝負という,正直ラジコンに圧倒的有利な条件。
ラジコンボートの3連勝は当然,と思えたのだけど。
最後3人目のスナイパーのテクニックが本当にとんでもなかった。
先の2人のスナイパーとの対戦をみて1発で当てるのが難しいとみるや,
まずボートの前付近の水面に1発着弾して波を立て,それで水面から船体を浮かせた瞬間,コントロールを失った状態を撃ちぬく作戦に出た。
そんなアホなと思ったが,なんとそれを1秒の間に2セットやってのけたのである。
さすがにそこはヤラセはなかったはず(笑
結局外れはしたが,ゴールラインの手前でボートが体勢を崩して宙に舞ったので,当たったんじゃないかと思ったくらい本当に惜しかった。
アメリカのスナイパーの技術の高さには,本当に度肝を抜かれた。
って1人興奮してたのにね~。
本当は最初にラジコンボートが3連勝してラジコンヘリとラジコンカーの出番はないはずだったのに,それじゃ番組にならないからといって対戦させられた,とか。
しかも相手のスナイパーにルール違反があったのに,それをなかったことにしてラジコンヘリとラジコンカーは負けたことにされた,とか。
ボートが3連勝したからってそこで終わったら番組にならないのは当然だと思うのですが・・・。
出番なしでギャラをもらうつもりだったのなら,どういう神経してんのかなあとは思うけど。
まあ,ね。
放送を見た感じ,ラジコンヘリとラジコンカーの負けっぷりは本当に無残でしたから。
相手のルール違反という事情があったなら,ラジコンカーの人が怒って告発した気持ちもわからんではない。
以前の対決(日光猿軍団や鷹との対決)でも相当不満があったそうですし。
まして「ほこ×たて」はガチンコ勝負をウリにしてる番組なので,いくらテレビ番組はヤラセが基本だって言っても,許される範囲を超えているのは否めない。
ただ私は思いますよ。
告発した広沢さんって人は,ラジコンカーの魅力を世に宣伝するために,テレビの演出に不満があっても我慢してきたって言ってる。
その根底に,相手がフジテレビだから悪で,自分は正義みたいな驕りが見え隠れしてしまう。
私もフジテレビは悪だと思うし擁護する気はないが,彼は彼でそれをわかっててテレビを利用したのでは?
ラジコン好きの人には悪いけど結局ね,ヤラセなり過剰な演出なり,そういう「加工」をしないとテレビ的に成立しない素材だった。
テレビの編集次第では魅力が伝わらなくなる程度のもんだったってことです。
それを棚に上げてラジコンの素晴らしさと世に広めようだなんて欲をかくから不愉快な思いをした。自業自得。
まあでも良かったじゃないですか。
告発して正義を貫けたのだから。インターネットいい時代だと思います。
思いのほか膨らんだので続きは次回。みのもんた問題。
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今どき中学生ですらやらないような,すごく恥ずかしい問題提起をしてみた。
日本人は空気に流されやすいから?
ジブリ観ておけば間違いないっていうニワカが多いから?
宣伝がうまいから?
それらも無関係ではないかもしれないが,やはりそれなりの理由がちゃんとある。
宮崎駿が映画「風立ちぬ」の大震災の絵コンテを描き終えたのは,なんと東日本大震災の前日だったという。
そのときのことを振り返って宮崎は,
「時代に追い抜かれたと感じた」
とインタビューで語っている。
たまたまそうなったとは思えない,時代とのリンクっぷり。
まさに巨匠ならではの発言である。
その時代に大衆が求めているものが何なのか,その時代の少し先にあるものを提示しなければならない。
それが表現者としてあるべき姿なのだとか。
作風からして,時代に流されず普遍的な美意識に重点を置いているとイメージしていた私にとっては,少し意外な発言だった(もちろん,普遍性があることにも違いはないのだけど。)。
その「時代の少し先にあるもの」が何なのかはわからないが,宮崎がいうところの「ファンタジー」が,それに該当すると考えていいだろう。ただの空想,夢物語とは違う。
もう何年も前から「ファンタジーを作るのが難しい時代になった」と口癖のように語っていたが,そういうことだったのかと改めて思う。
宮崎は,スマホだのツイッターだのインターネット文化にはほとんど触れないらしい。
およそ「情報」というものは,自分の肌で直接触れて得るべきだと。
子供たちには,自分の作った映画を見るよりも,外に出て草や木に直に触れて欲しいと言う。
宮崎作品はすべて,そういう泥臭い男が自分の感覚だけを頼りに,その時代に生きる人たちが何を求めているのか,死にもの狂いで妄想をした結果できたものである。
インターネットを使えば簡単に多くの情報が得られるが,そのインターネットの先にいる人がどんな人なのかまではわからない。当たり前である。
しかし,その先にいる人がどんな人で,どんなことを欲しているのかが想像できるのなら,そりゃあ,映画がヒットするのも当然な気はしないだろうか。
私は,宮崎駿のすごさの理由が1つそこにあると思う。
この平成の時代,大衆の意識の居場所,リアリティの中心がインターネットにあるのだとしたら,スマホなりツイッターと向き合うことは避けられないと思う。
だからミュージシャンがツイッターで要らないことをつぶやいたりするのも,しょうがないのかもしれない。
しかし宮崎駿の生き様をみると,やっぱり本物はこうあるべきでないか?と思わざるを得ない。
先日,横浜市緑区であった踏切事故。
普段は冷血で知られる私も,さすがに今回はショックを受けた。
現場では村田さんの死を悼んで多くの献花がなされている模様。
テレビのインタビューでは,何のゆかりもない人たちが,彼女の死を悲しみ,涙を流している。
私もちょっと泣きたくなったがとりあえずやめた。
しかし他方で,さすがはインターネッツ。
素人は無茶をせず非常ボタンだけ押せばいいんだとか。
助けられた人は自殺したかったんだから無駄死にだとか。
首相が勲章を授与したのは売名だとか。
美談にしたがる世の中の風潮がどうだとか。
こういう輩の言論ですら自由が保障されているのだから,日本って本当にお幸せな国ですよ。
こういう想像力の足りない人たちはですね,是非村田さんと同じシチュエーションに出くわしていただきたい。
そして,目の前で人が轢かれて死ぬのをただ見ているだけになっちゃって,その後
「嗚呼,なんであの時何もできなかったんだろう!」
と毎晩毎晩ベッドの中で苦悩する人生を送ってしまえばいいのです。
ちなみに村田さんはとっさに車を降りて,
「誰か非常ボタンを押してください!」と言いながら踏切内に飛び込んでいったそうですよ。
しかし持ち上げられないとわかるや,機転を利かせて男性の体の向きを変えたそうな。
男性は助けられても,自分は助からないような切迫した状況下で,です。
こんなことができる人がこの世に一体何人いるのか。
私も「絶対にできない」とは言いたくないが,やはり自信はない。
そんな自分の情けなさを突き付けられたような気がして,それもショックの一因かもしれない。
もう一つは,誰しもがそんな場面で人を助けられる勇気を持ちたい,という感覚を無意識に共有していて,しかし今回,(相手からすれば勝手な言い方だが)その「仲間」が1人亡くなってしまった。そのことを悲しんでいるような気もする。
踏切に献花した人たちはその気持ちをストレートに表現しただけであって,そこに嘘はないと思う。
実際に美しいものを美しく語って,それが美談だったら何か問題でもあるのだろうか。
村田さんに勲章をあげないなら,何のための勲章なのだろう?
安倍総理は当然のことをしただけであって,それ以上でも以下でもない。
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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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