~語るべきことなど何もないのに~
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今どき中学生ですらやらないような,すごく恥ずかしい問題提起をしてみた。
日本人は空気に流されやすいから?
ジブリ観ておけば間違いないっていうニワカが多いから?
宣伝がうまいから?
それらも無関係ではないかもしれないが,やはりそれなりの理由がちゃんとある。
宮崎駿が映画「風立ちぬ」の大震災の絵コンテを描き終えたのは,なんと東日本大震災の前日だったという。
そのときのことを振り返って宮崎は,
「時代に追い抜かれたと感じた」
とインタビューで語っている。
たまたまそうなったとは思えない,時代とのリンクっぷり。
まさに巨匠ならではの発言である。
その時代に大衆が求めているものが何なのか,その時代の少し先にあるものを提示しなければならない。
それが表現者としてあるべき姿なのだとか。
作風からして,時代に流されず普遍的な美意識に重点を置いているとイメージしていた私にとっては,少し意外な発言だった(もちろん,普遍性があることにも違いはないのだけど。)。
その「時代の少し先にあるもの」が何なのかはわからないが,宮崎がいうところの「ファンタジー」が,それに該当すると考えていいだろう。ただの空想,夢物語とは違う。
もう何年も前から「ファンタジーを作るのが難しい時代になった」と口癖のように語っていたが,そういうことだったのかと改めて思う。
宮崎は,スマホだのツイッターだのインターネット文化にはほとんど触れないらしい。
およそ「情報」というものは,自分の肌で直接触れて得るべきだと。
子供たちには,自分の作った映画を見るよりも,外に出て草や木に直に触れて欲しいと言う。
宮崎作品はすべて,そういう泥臭い男が自分の感覚だけを頼りに,その時代に生きる人たちが何を求めているのか,死にもの狂いで妄想をした結果できたものである。
インターネットを使えば簡単に多くの情報が得られるが,そのインターネットの先にいる人がどんな人なのかまではわからない。当たり前である。
しかし,その先にいる人がどんな人で,どんなことを欲しているのかが想像できるのなら,そりゃあ,映画がヒットするのも当然な気はしないだろうか。
私は,宮崎駿のすごさの理由が1つそこにあると思う。
この平成の時代,大衆の意識の居場所,リアリティの中心がインターネットにあるのだとしたら,スマホなりツイッターと向き合うことは避けられないと思う。
だからミュージシャンがツイッターで要らないことをつぶやいたりするのも,しょうがないのかもしれない。
しかし宮崎駿の生き様をみると,やっぱり本物はこうあるべきでないか?と思わざるを得ない。
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