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~語るべきことなど何もないのに~
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こないだ多摩川沿いでリンチ殺人をした少年がいましたが。

その実名報道をした週刊新潮の編集長がTVタックルに出演してたので見たところ,断片的に正しいことは言っているのだけど,他論点を交えたもっともらしい正論にフルボッコにされていた。

テレ朝だからしょうがないのかもしれないが,ほかに賛成派が鳩山兄しか配置されなかったという状況からしても,マスメディアでは反対派が優勢な印象である。







編集長が「社会的制裁だ」と言うと,

反対派からは「一企業が社会的制裁をする資格はあるのか?」と言う。

そこではっきり「ある」と言ってやればよかったのだけど,

「誰かがやらなければならない」と濁したようなよくわからない返答をしていて残念だった。






そもそも事の経緯を思い出すと,新潮が実名報道をする前から,個人がインターネットを使って実名や住所をジャンジャンばら撒いていた。

その個人に社会的制裁をする資格はあるのか?

(とりあえず「社会的制裁をする資格」を観念できる前提で)



仮に個人と社会を切り離して考えるのであれば,そもそもその問い自体が無意味。

しかし個人と個人の集合体が社会であると考えるのであれば,答えはどちらかといえばイエスではないだろうか。

私は新潮社も社会の一員だと思うので,「社会的制裁をする資格」はあると思う。







また,「制裁」という表現からして,少年及びその家族親戚友人に対する関係でしか意味がないかのようにも思えるが,それだけではない。






なんかやらかすと,少年だろうが大人だろうがマスコミ,インターネットで実名を晒されますよ。

本人だけでなく,家族,親戚,友人が白い目で見られる可能性がありますよ。

被害者を差し置いて社会復帰なんて難しいですよ。


以上のような社会的制裁を受けるおそれがありますよ。


という加害者以外の社会に対する「威嚇」に意味がある。


今回は事件に関係のない友人まで個人情報が晒されていたようだが,そういう誤爆のおそれも含めて威嚇になり得る。

気の毒な話ではあるが,SNSに自分の情報を載せた時点で最悪そういうこともあると覚悟すべきだろう。






昔は地域ごとに大人が社会として子どもたちの面倒を見ていたが,今はそういう地域のコミュニティがすっぽり抜け落ちているので,大人が各自で自分の子どもを自由に育てて,社会のルールとか面倒なことは全部学校に押し付ける傾向が強い。

そのすっぽりと抜けた部分を補強するのがインターネットである。

インターネットによって個人と個人の分離による社会の希薄化が加速されたのに,社会の代替機能をインターネットが果たすというのは皮肉っちゃ皮肉だし,自然っちゃ自然の成り行きではないだろうか。


べつにそれでメデタシメデタシとは思っていないが,実際そうなのだからしょうがない。


こういう時代の流れの中で,マスメディアの一企業による実名報道が社会的制裁だなんてそれほど大騒ぎするようなことなのか疑わしく感じる。

教科書的にはマスメディアは私人ではあるが社会的影響力が大きいので~とか言いますけど,その感覚はもう古くないですかね?







一企業が制裁をするのではなく,法律の下で国家が行うべきではないか?とも言われていたが,
今ある法律がすべて正しい訳ではない。少年法が施行されてからウン十年。時代は変わりまくっている。
誰かが法律を破ってでも行った言論が国民に問題提起をし,法律が変わることもある。

少年法による過保護が少年犯罪を助長している。

そのことがサカキバラ事件のときから「1ミリも変わってない」という新潮編集長の怒りが印象的だった。



凶悪犯罪があるたびにお気楽な議論をしてはすぐに忘れ,また同じ騒ぎを繰り返すような人間が言うことよりは,少年犯罪を取材し続けてきた編集長のほうがよほど言う「資格」があると私は思いますけどね。











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日曜の夜は,必ず「ヨルタモリ」を観ている。

昔から,適当に面白おかしい話をする飲み屋コントがツボだったこともあるが,理由はそれだけではない。



そもそもタモリという人間自体が持つ才能のマルチさはお昼の「笑っていいとも」で発揮しきれるものではなく。



かといって深夜の「タモリ倶楽部」は基本ディープなので,ついていける回とそうでない回の落差が激しい。




そういう意味では昼と深夜の間(といっても10時とか11時だが)にやる「ヨルタモリ」は,タモリの魅力を楽しむ上で非常にバランスが良いのである。





その「ヨルタモリ」。


トークの合間に,タモリがジャズ,サルサ,ボサノヴァなどのアーティストを呼び,その演奏に合わせて即興で歌うコーナーがある。


といっても歌詞はデタラメなので笑えるのだけど,しかし各ジャンルの特徴,雰囲気を上手く捉えているので,本物よりも本物らしく見える瞬間がある。そこに,タモリがタモリである所以を感じる。



タモリが他のタレントと決定的に違うのは,無意味さ故に馬鹿にされることを全く恐れていないこと。


実際,同番組のトーク中でも,最近のJ-POPを批判してなのか,

「歌詞に中途半端に意味を込められると頭にくるんだよね」

と軽く怒っていたことがある。

タモリの言葉を自分なりに翻訳すると,




頭の悪い奴,才能のない奴が,中途半端に言葉に思想を載せたところで心に響かない。

中途半端な言葉が邪魔をして,物事の本質に辿り着けない。

頭が悪くて才能もないくせに気取ってんじゃねえ。




というようなことが言いたいのだと思う。私個人は全くそんなことは思っていないが。


でもタモリがデタラメな歌い方をするのには,物事の本質をダイレクトに感じたい,感じさせたいという強いメッセージが感じられる。









さてここで,今話題の8.6秒バズーカ。



お笑い界に彗星のごとく現れたかと思えば,もうすでに一発屋だのつまらないだの批判され始めている。



私も彼らを殊更持ち上げる気はない。

つまらないという目で見ればつまらない。

そもそもラッスンゴレライには何の意味もない。

何の意味もないので,それを叩くのもまた無意味。





だがしかし,気になる。



ラッスンゴレライ

ちょちょちょちょっとまて・・・オニサン!

の間,抑揚,というか「ノリ」。


言葉の無意味さのおかげで,この「ノリ」が気持ちよく伝わってくる。

「面白い」というより,「楽しい」。






我々は,中途半端な意味しか込められない歌に飽き飽きしている。

今やカラオケボックスに行かないし,行っても歌わずにゲームをしたりスマホを弄るようなご時世。

たまに昔の歌も聞くけど当時の熱狂は思い出の彼方。結局は自分歳取っちゃったなあと嘆く始末。



そんな時代の流れの中でタモリの言葉を踏まえると,8.6秒がスススッと入ってきた理由が何となくわかるような気がするのである。




8.6秒が一発屋だからってそれがナニカ?

そういう中途半端な批判を上から目線で語る人間が一番頭にくるんだよねえ(byオレ)。

















よく「人は人生の3分の1は寝ているのだから,睡眠は大事だ」といわれるが,それになぞらえて言うと,


日本人は人生の10分の1くらいは電車に乗っているのだから,電車の乗り方は大事だ」


と思う。





現在の最寄駅はラッキーなことに当駅始発の新宿行があるので,とにかくそれに座れるように早めに毎朝家を出ている。


座席はなるべくシートの真ん中か,その両隣くらいと決まっている。なぜかというと,ご老人や妊婦さんが到達する可能性が低く,譲るべきか寝たふりすべきかを迷うことがほとんどないからである。




もちろん,譲りたくないわけではない。

明らかに席を必要としているヨボヨボな老人だったり,明らかにデブではないと瞬時に(←ここ大事)確信を持てる状態の妊婦ならいくらでも譲るが,実際世の中はハードケースばかりである。その判断の難しさに朝っぱらから直面したくないだけである。






そういえばついこないだのこと。

私が満員電車で座って寝ていると,私の斜め前にいた女性がやたら膝をぶつけてくるので「誘ってんのか~?」と思ってたら,いきなり膝からガタガタガタ!と崩れ落ちた。その瞬間,カバンに例のワッペンが見えたので,そこではじめて妊婦がフラフラしてたことがわかった。



言い訳をすると,その女性はまだ初期で見た目は全然「明らか妊婦」ではなかった。
というかそもそもこんな満員電車に妊婦が乗ること自体いかがなものだろう?とも思ったが,まあそうせざるを得ない事情もあったのだろう。




周りはみなびっくりして,私はつい「大丈夫ですか?」などと当たり前のことを聞いてしまった。
その妊婦の前,つまり私の隣に座っていた女性なんかは「座りますか?」などともっとしょーもないことを聞いていた。当然その女性が席を譲ったが,幸いにも特に大事はなかった。

結局,周りにいた人達はほとんど代々木上原で降りてしまい,私だけが妊婦さんを新宿まで見守るはめになった。とはいっても降り際に,




「あの,歩けます?」


「はい」


以上,そそくさ~みたいな。



私もそっけないが,妊婦さんもそれ以上にそっけない感じだったのでまいっかと。



そのとき,社会全体が妊婦さんに対する気遣いがあまりないというか,そもそもどうしたらよいのかわからずもやもや~っとしてるんだなとは感じましたね。私のどの口が言うかって話ですが。


この話を子供のいる友人に話すと,妊婦さんに対しては男性のほうが優しい,女性は全然譲ってくれないのだとか。それはそれでまた意外。


妊婦さんのほうも「譲れオーラ」を出していると思われたくないらしく,わざとワッペンを隠したり,優先席ではない方に行く人もいるのだとか。本来気を遣われるべき側が逆に気を遣ってしまうという,これもある意味日本人気質かもしれませんね。妊婦さんは妊婦さんでなかなか大変なようです。

ていうか,


その遠慮は私の作戦にとって非常に困るんですがーー!


なんつてね。まあ,わかりやすくしてくれれば全然譲りますよ。





本当はこの話をするつもりではなかったが,思いの外膨らんでしまったので本日ここまで。










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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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