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~語るべきことなど何もないのに~
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あくまで時と場所による話ですが。




例えば保育園や公園の近くの住人が、子どもが騒いでうるさいといってクレームを入れるのは神経質すぎると思う。疲れているのかもしれないけど。




他方、電車内でギャーギャー騒がれると、本当にカンベンして欲しいと思うことが多々ある。






前者はともかく後者の場合、私が気になるのは子どもよりも親の態度。





「うるさくしてすいませんすいません」と周りに気を遣う親御さんもいるが、6~7割の親はあまり気にしていない(当社調べ)。

親があんな感じだから子どもも騒ぐのだろう。自然の摂理かもしれない。





彼らは子どもがうるさいのは仕様で、元気なのはいいことだ。電車で騒ごうが関係ねえと思っているのか。あるいは何も考えていないのか。







私は、子供はいくらうるさくても構わない。ただし
親は申し訳なさそうにしてろと。フリでいいから。






子どもは親の手足であって、子供のやることは親のやることと一緒と考えるのが昔からの常識だったはずだが、最近はそれを言うと「子どもも独立の人格、自主性を重んじるべきだ」とか反論されそうで面倒くさい。





子どもの人格を尊重したいあまり、親に子どもを躾けるという感覚が弱い。だから、子どもが大人をなめている。



大人をなめながら育つので、大人もそんなクソガキと関わるのが面倒になって敬遠する。

その子たちがやがて社会に出ると、上の世代との接し方がわからず、同世代とのつながりに依存する。

上の世代を嫌いじゃなくても、話のチャンネルの合わせ方がわからないといったところか。





上の世代である私はわりと頑張ってる方で、20代前半の子たちと接するときは(男であれ女であれ)まるでお花を生けるかのような繊細なタッチを心がけている。










最近の若い子たちがいじめにも弱くなってるのは、親のみならず上の世代から押し付けられず自由に育てられた結果なのか。

その代わり、いじめに遭わないためのコミュニケーション能力が異様に高まっているのか。


ケータイやらツイッターやら。最近はLINEですか。よく知りませんが。





いじめが増えて社会問題になるなんて最近に始まったことではないし、その時々の大人たちがいじめをなくそうと努力してきた。




でも現場の苦労を全く知らずあえて失礼なことを言うと、その大半は無駄な努力。




だっていじめをなくすためにやってることが、





いじめられた側の気持ちがどんなものか想像してみましょう



とか。




生徒同士でいじめについて話し合いましょう




とか。







いやいやわかるんだけど、そういう土台に乗ってくれる子はそもそもいじめとかしないですよね。


いじめる奴はそこに乗ってこないんだからどうしようもない。いじめが楽しいんだから。


「いじめをなくそう」ってのは「戦争をなくそう」と同じくらい本能レベルで困難。







そういう現実からスタートすれば、考えられるのは2つ。

いじめより楽しいものを提供するか、いじめに負けない人間を育てるか。



今の親御さんたちも、いじめより楽しいものとしてゲーム機を買ってあげてるのかもしれないけど・・・って違うかw




残るはいじめに負けない人間を育てることでしょうか。自衛隊の体験入隊もあながち悪くない。某国海軍だと中学生に暴行振るっちゃうけど。










そもそも他人の気持ちを考える思いやりの心なんてのは小さい頃から親が普通に教えているのが前提であって。
それをしないで学校に行かせちゃった時点で手遅れ。
なんでもかんでも全部学校のせいにすんなよと私は思う。学校が悪くないとは言いませんが。









いじめをなくせ。




でも体罰は絶対するな。









どこかの国の自衛隊とか海上保安庁並みに厳しいミッション。

不可能とは言いません。でももっと簡単に、不幸にならずに済む方法はあるのでは。







子ども鍛えようと頑張っても、強くなれない子は出てくる。

そこから先は、人との巡り会いというか運に委ねるしかない。

自分のやれる範囲でやるしかない、ということですね。








































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野田総理のヤケクソ解散には笑わせてもらった。




離党するだのしないだの民主党内の慌てぶりを見ると、最後の最後によくぞやってくれたと思う。




もっともっと早く解散すべきだったと思うが、それは贅沢というものだろう。
任期満了されなくて本当に良かった。









先日の安倍総裁との党首討論では、


消費税増税で国民の皆様にご負担をおかけする


申し訳ない


議員も身を切るべき


定数是正、議員数削減をすべき


なのに自民党が協力しない


今この場で協力を約束しろ安倍コノヤロー








みたいな絵ヅラをやたら強調していたが、自民党はもとより同じ立場だった。あんなワーワー盛り上がるような話ではそもそもなかった。

ただ安倍氏は、定数削減については少数政党に配慮して慎重な議論が必要であって二大政党だけで決めて大丈夫なのですか?と冷静に指摘していたけど。





しかし国民からは、何が争点で解散するのかわからない、国民そっちのけで政争を繰り返している、とピンとのズレた感想を持たれてしまっている。仕方がないっちゃ仕方ない。







原発やらTPPやら論点はあるが、そんな難しい問題を提示されても我々には判断しようがない。



原発をなくせるならなくしましょう、なくせないなら依存しましょう、ただし限定的に、という基本路線くらいなら誰もが思っている。


「今すぐなくせ」って人もいるのかもしれないけど。




TPPに至っては何がどうなるんだか。






今回の解散総選挙に我々が判断できる争点など特にない。これは別に誰の責任でもない。

単に政権担当能力がない民主党政権を終わらせる。それだけで十分。



野田は消費税増税を主導したことによるピンチをチャンスに変えようとして、必死に身を切るアピールをしているだけ。党首のあり方としては正解。

選挙区間の投票価値の不平等なんて、庶民感覚では全く理解できないですよねえ(大事じゃないとは言わないけど)。



安倍さんはその滑稽な議論に付き合わされ、巻き添えをくらってしまったという感じか。



自民党の世襲議員を批判してる人がいるみたいだけど、民主党の世襲議員(田中真紀子とか鳩山由紀夫とか)に比べたら1000倍マシなんですがね。





それにしても今回の選挙。

新聞記事を読むならまだしも、テレビの報道番組の断片的な情報に接するだけの人たちが、





「第三極なら何かやってくれそうだ」






いつものパターンでやらかしてしまわないか、少し危惧している。






橋下さんは期待していいと思うけど石原さんは暴れそうだし。
なにより党全体の政権担当能力が未知数すぎて超不安。







投票に行くくらいならまだマシか。


投票もしないで「政党けしからん」と文句を言うのは論外。


自分の持つ一票の軽さを噛み締めながら投票すべきである。


今回は特に、民主党政権を誕生させてしまった責任をとらねばですよ。


この際、結果について贅沢は言いません。




こんな状況でもまだ投票に行かずケータイばっかいじってる人が多いようでは、いよいよ日本沈没のカウントダウンが始まるでしょう。

といってもいいくらい非常に重要な選挙な気がします。





うちの商法の先生で「2020年には日本終わるから今のうちに外国語習って、海外で仕事できるようにしたほうがいいですよ~」って笑顔で講義してくれた人いたけど、もう笑えなさすぎて笑うしかないわ。





あーでも、来月には地球が滅亡するんだっけ?・・・じゃあ、もういっかw ゜・(ノ∀`)・゜・

















先週の記事の中で


>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw







と打ち込んでいたとき、自分が今年の9月に

ナスネ

エクスペリア

バイオノート
を買っていたことを全く忘れていた。







しかも、バイオでナスネの動画をブルーレイに焼けると聞いていたのに,スペック不足のせいかフリーズ。




しかも,ウインドウズ8搭載のタブレットにもなるバイオノートが発売。








正直悔しい。

こんな私が,はたして家電を買うことに幸せを求めていなかったとでも言うのだろうか。








>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw
>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw

>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw
>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw









ブーメランだけはするまいと心がけてきたが,最近こういうことが増えてきた。

まあ,自分で気づくだけまだマシ。私はエラいよウンウン。なんつって。









そこで反省の意を込めまして,

やっぱり私は負けていないという話をしてみようかと。











話全然変わりますが、


たとえばRPG業界では,赤いポーションを飲めば体力が回復し,青いポーションを飲めば魔力が回復するというのは常識中の常識。







赤と青で逆のパターンを見たことがないなあ。





・・・それはどうでもよくて。




ボス戦で大きなダメージを受けても,赤ポーションボタンを連打しながら攻撃をして何とか倒す戦法も常識。



何故そんなにすぐ体力が回復するのか?



答えは「魔法がかけられているから」。これも常識。







とはいうものの,右手の剣でドラゴンを攻撃しながら、左手で大量のポーションをがぶ飲みしている場面をリアルに想像すると,非常にやるせないものがある。




FPS業界もそう。

敵に先手を取られても、救急パックの近くにいることで体力を回復させつつ反撃する、という戦法は常識中の常識。

しかしその救急パックに魔法はかかっていない。







このテのフィクションに目をつむるのがゲームを楽しむ最低条件であり,その具体的な場面は想像すらしないのが当然。

作り手もプレーヤーも




こんなに都合良く回復するわけねーだろw




と思っている。

こういうことはよくある。






そしてまた話は突然変わるが、

独占禁止法の第1条にはこんなことが書いてある。






「この法律は、私的独占、不当な取引制限及び不公正な取引方法を禁止し、事業支配力の過度の集中を防止して、結合、協定等の方法による生産、販売、価格、技術等の不当な制限その他一切の事業活動の不当な拘束を排除することにより、公正且つ自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め、以て、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。」







非常に大雑把に要約すると,


この法律の目的は,自由市場経済によって消費者たる国民の利益を図るために不当な経済活動を規制することです。


と書いてある。


この文面の根底には,自由経済によって公正な競争が保たれれば,より良い品質のものが安く手に入るようになるんだから国民の利益になるでしょ?という発想がある。



かじりたての法律なので間違ってたらゴメンなさいなんだけど,仮に間違いがあったとしてもさして問題はない。






だって,それはフィクションだから。





この条文を考えた人間も本気でそうなるとは考えていないし,国民である我々も本気でそんなことは考えていない。


どこかのゼネコン同士で談合をしてたら,あなたは不幸せになるだろうか。



逆に,談合が一切なくなれば,あなたは幸せになるのだろうか。



理屈では何とでも言えるが,幸福感のあるなしという主観面だけに着目すれば,何の影響もないはず。


我々の税金を使って誰かが美味い汁吸ってたら,なんかムカつくじゃないか!




という人は世の中の圧倒的多数派だろうし正しい意見だと思うけど,そういうことに心の底から怒れる人なんてじつはどこにもいない。





しかし,それでは身も蓋もない。野放しにするわけにもいかない。




だから,不当な談合がなくなれば自由経済によって国民が幸せになりますぜっていう,ある種もっともらしいフィクションが必要になる。




言葉の正確な用法ではない気がするが文脈で趣旨を汲み取って欲しい。






談合はさておきもう少し具体的に話しましょか。










前にコンビニで調理パンを買ったときのこと。


上に乗っていたチーズがいい具合に焼けてて,一口食べると焦げたチーズの香ばしさがふわっと口の中に広がったわけです。


いやホントうまかった。

そんとき思いましたね。


余計なことんじゃねえと。






たかだか200円前後のパンであのクオリティは企業努力の賜物。

まさに自由競争。



しかし私は,コンビニのパンで幸福感を得たいとは思っていなかった。

「安かろうまずかろう」なパンを食べるためにコンビニに行ったのに,ベーカリー的な店に引けを取らない味。




私は利益を得たからべつにいいが、コンビニがあのパンを出すなら,世のベーカリーはどんだけ努力をしなければならないのか。


数値化できない無駄が増大し続けている気がしてならない。




こんな状況だと、昔からおばちゃんがやってるような、ありきたりなパン売ってる店なんかはもう、潰れるしかあるまい。


社会的に無駄だから潰れるわけだが、なぜか愛おしい無駄ほど先に無くなっていく。







べつにチーズ焦げてなくてもよかったんですけど,美味いに越したことはないかな~。



なんていうどうでもいいニーズを想定して、日々おいしいパンを探求しなければパン屋としてやって行けないとは。





結果,私たちが住んでいるのは,一見多様性があって個性的にみえるがどこか豊かさの感じられない社会なわけで。


その中で、「自由競争が幸福をもたらす」というフィクションに踊らされているのに気づかない。
専ら消費者として
自分が幸せになることだけ考えていればいいんだみたいな。

これでは何も理解できないし、何も感じられない。











とはいえ私もその1人。





低価格で美味しいパンを大量に生産し、消費する社会で鳴ってる音楽がつまらなく聞こえるのは、「そりゃそうだよなあ」って感覚的に思いながらあきらめつつある。






てことで、つながってるんだかつながってないんだかよくわからない話をあえてそのまましてみました。
また頭を整理してお話しする機会があればと。







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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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