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~語るべきことなど何もないのに~
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先週の記事の中で


>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw







と打ち込んでいたとき、自分が今年の9月に

ナスネ

エクスペリア

バイオノート
を買っていたことを全く忘れていた。







しかも、バイオでナスネの動画をブルーレイに焼けると聞いていたのに,スペック不足のせいかフリーズ。




しかも,ウインドウズ8搭載のタブレットにもなるバイオノートが発売。








正直悔しい。

こんな私が,はたして家電を買うことに幸せを求めていなかったとでも言うのだろうか。








>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw
>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw

>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw
>どんな家電買ったって大して幸せにはなれないでしょ,どう考えてもw









ブーメランだけはするまいと心がけてきたが,最近こういうことが増えてきた。

まあ,自分で気づくだけまだマシ。私はエラいよウンウン。なんつって。









そこで反省の意を込めまして,

やっぱり私は負けていないという話をしてみようかと。











話全然変わりますが、


たとえばRPG業界では,赤いポーションを飲めば体力が回復し,青いポーションを飲めば魔力が回復するというのは常識中の常識。







赤と青で逆のパターンを見たことがないなあ。





・・・それはどうでもよくて。




ボス戦で大きなダメージを受けても,赤ポーションボタンを連打しながら攻撃をして何とか倒す戦法も常識。



何故そんなにすぐ体力が回復するのか?



答えは「魔法がかけられているから」。これも常識。







とはいうものの,右手の剣でドラゴンを攻撃しながら、左手で大量のポーションをがぶ飲みしている場面をリアルに想像すると,非常にやるせないものがある。




FPS業界もそう。

敵に先手を取られても、救急パックの近くにいることで体力を回復させつつ反撃する、という戦法は常識中の常識。

しかしその救急パックに魔法はかかっていない。







このテのフィクションに目をつむるのがゲームを楽しむ最低条件であり,その具体的な場面は想像すらしないのが当然。

作り手もプレーヤーも




こんなに都合良く回復するわけねーだろw




と思っている。

こういうことはよくある。






そしてまた話は突然変わるが、

独占禁止法の第1条にはこんなことが書いてある。






「この法律は、私的独占、不当な取引制限及び不公正な取引方法を禁止し、事業支配力の過度の集中を防止して、結合、協定等の方法による生産、販売、価格、技術等の不当な制限その他一切の事業活動の不当な拘束を排除することにより、公正且つ自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め、以て、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。」







非常に大雑把に要約すると,


この法律の目的は,自由市場経済によって消費者たる国民の利益を図るために不当な経済活動を規制することです。


と書いてある。


この文面の根底には,自由経済によって公正な競争が保たれれば,より良い品質のものが安く手に入るようになるんだから国民の利益になるでしょ?という発想がある。



かじりたての法律なので間違ってたらゴメンなさいなんだけど,仮に間違いがあったとしてもさして問題はない。






だって,それはフィクションだから。





この条文を考えた人間も本気でそうなるとは考えていないし,国民である我々も本気でそんなことは考えていない。


どこかのゼネコン同士で談合をしてたら,あなたは不幸せになるだろうか。



逆に,談合が一切なくなれば,あなたは幸せになるのだろうか。



理屈では何とでも言えるが,幸福感のあるなしという主観面だけに着目すれば,何の影響もないはず。


我々の税金を使って誰かが美味い汁吸ってたら,なんかムカつくじゃないか!




という人は世の中の圧倒的多数派だろうし正しい意見だと思うけど,そういうことに心の底から怒れる人なんてじつはどこにもいない。





しかし,それでは身も蓋もない。野放しにするわけにもいかない。




だから,不当な談合がなくなれば自由経済によって国民が幸せになりますぜっていう,ある種もっともらしいフィクションが必要になる。




言葉の正確な用法ではない気がするが文脈で趣旨を汲み取って欲しい。






談合はさておきもう少し具体的に話しましょか。










前にコンビニで調理パンを買ったときのこと。


上に乗っていたチーズがいい具合に焼けてて,一口食べると焦げたチーズの香ばしさがふわっと口の中に広がったわけです。


いやホントうまかった。

そんとき思いましたね。


余計なことんじゃねえと。






たかだか200円前後のパンであのクオリティは企業努力の賜物。

まさに自由競争。



しかし私は,コンビニのパンで幸福感を得たいとは思っていなかった。

「安かろうまずかろう」なパンを食べるためにコンビニに行ったのに,ベーカリー的な店に引けを取らない味。




私は利益を得たからべつにいいが、コンビニがあのパンを出すなら,世のベーカリーはどんだけ努力をしなければならないのか。


数値化できない無駄が増大し続けている気がしてならない。




こんな状況だと、昔からおばちゃんがやってるような、ありきたりなパン売ってる店なんかはもう、潰れるしかあるまい。


社会的に無駄だから潰れるわけだが、なぜか愛おしい無駄ほど先に無くなっていく。







べつにチーズ焦げてなくてもよかったんですけど,美味いに越したことはないかな~。



なんていうどうでもいいニーズを想定して、日々おいしいパンを探求しなければパン屋としてやって行けないとは。





結果,私たちが住んでいるのは,一見多様性があって個性的にみえるがどこか豊かさの感じられない社会なわけで。


その中で、「自由競争が幸福をもたらす」というフィクションに踊らされているのに気づかない。
専ら消費者として
自分が幸せになることだけ考えていればいいんだみたいな。

これでは何も理解できないし、何も感じられない。











とはいえ私もその1人。





低価格で美味しいパンを大量に生産し、消費する社会で鳴ってる音楽がつまらなく聞こえるのは、「そりゃそうだよなあ」って感覚的に思いながらあきらめつつある。






てことで、つながってるんだかつながってないんだかよくわからない話をあえてそのまましてみました。
また頭を整理してお話しする機会があればと。







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