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~語るべきことなど何もないのに~
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・・・という生き物は、肥大化する自尊心を常識的(自虐的)見地から抑え込み、なんとか人格のバランスを保つことに多大の労力を必要とする。




自分を自分で肯定しつつ、他方で自分で自分を否定する。
つまり、アクセルとブレーキを同時に踏むのがマシンにどのような影響を及ぼすかは、機械に疎い人でもなんとなく想像がつくのではないだろうか。




それは傍からみると非常に滑稽であり、ときには他人を呆れさせ、イラつかせてしまうこともあるだろう。






そのため、同時に踏んでいることを悟らせないように振舞うことに、さらなる労力を必要とする。それがうまくいくと、










「何も考えていない奴」と思われる。







それはそれで困るのだが、かといって言い訳するのも疲れる。ここに辿り着くまでに、すでに多大な労力を浪費している。







年齢を重ねると余計疲れやすくなり、自分のこともどうでもよくなってくる。







結果、気づいたら自分を肯定するネタがなくなっている。





そもそも、自分で自分を肯定したって何の説得力もないことも自分自身が一番わかっている。








さらに深刻なのは、アクセルを思い切り踏めなくなる、というか自分ではアクセルを思い切り踏んでいるつもりなこと。








私は一時期そうだったし、今も若干そうなのかもしれない。








何かの言い訳に聞こえるかもしれないが、どのようにとってもらっても構わない。ていうか、なんか話がズレかけているので戻すと、








常識的にバランスのとれた文章を書くには、ある程度の分量の論証が必要であり、また、語尾にも気を遣わなければならない。
しかし、前2回の記事を書きながら、どうもそれができていないと感じる。面倒なので論理は飛ばすし、断定するから上から目線な雰囲気にもなる。









「昔からそうだろ」と言われれば返す言葉もないが、そうだとすれば問題は結局、



表現する才能の有無ということに帰着する。




じゃあ、才能のある表現の具体例とは、ということで以下3点。








1.四畳半神話大系
(森見登美彦 小説)

先日放送が終了したアニメを通過して、原作へ辿り着いた。総合的にみてアニメのほうが勝っているとは思うが、原作も面白い。偉そうなことを言えば言うほど滑稽になる主人公の描き方、言葉選びのセンス、密度の濃さはまさに才能のなせる業。私もかつてほんの一瞬、文章でちょっとでも食えないか考えてしまったことがあったが、これを読んで、そんな自分を激しく恥じた。
この作品については語りたいことが多いので、また別の機会に別の角度から。






2.アイアムアヒーロー
(花沢健吾 漫画)

乱暴に言うと、2010年日本版バタリアン。

無理難題を押し付ける上司、ひたすら卑しい先輩、自分よりも元彼の才能を認める彼女などなど、自分を評価してくれない世の中で、不遜な独り言を吐くことで必死に自我を保つ主人公。しかし街中に増殖するゾンビが、それらの「自分を認めようとしない者たち」を次々と殺し、ゾンビに変えてしまう。主人公がそれですっきりするのか、というとそうはならない。ゾンビから逃げながらも、相変わらず独り言を吐き続ける。銃を持っているのに、撃てない。それは、彼がゾンビという非現実的な現実から逃げているからである。しかも逃げる手段が銃ではなく、

「アイアムアヒーロー」


という独り言であることの情けなさ。私はそんな主人公に共感もするし、イラつきもする。それは、私が私自身に共感し、イラつくのと似ている。

本作は、このテのジャンルにありがちな「ある日突然○○」という始まり方ではなく、まずは単行本1巻分を使って主人公の糞みたいな日常が丁寧に描かれている点が特徴的である。それによって、ゾンビが暴れるまでモタモタする感じがあるのは否定できないが、この作品を例えば「ドラゴンヘッド」と同じジャンルに括って語るのは、少々乱暴な気がする。

作者は、「もし街中にゾンビがあふれたら?」というお題を立てて人間の心理描写をシミュレーションすることよりも、主人公に「現実から逃げてしまう私たち」を投影させることに重点を置いているように感じられる。このことから考えると、本作のキモはゾンビをどうやって退治するかではない。銃を撃たないままゾンビ騒ぎが収まるのを待ってしまうような主人公、あるいは私たちが、自らの意思で引き金を引けるかどうか。そこに尽きるのではないか。
本作の手法が新しいのかどうかはわからないが、少なくとも2010年のリアルを切り取ることには成功していると思う。







3.モテキ
(久保ミツロウ 漫画)

なんとなく少しかなり気になってたけど、原作は読んでいない。だって、いい歳して「モテキ」なんて題名の漫画、買えないでしょ。たとえ誰にも見られていなくても、レジに持って行くのは恥ずかしい。無理。

なので、先週からドラマが始まってくれて助かった。そして、野波麻帆の太腿ドアップのカットがあって、録画していて、本当に良かった。






三 次 元 最 高 。






それはさておき。

あと、主人公が森山未來というのも大きかった。べつに彼の演技を知っていたわけではないのだけど、このテーマで森山未來なら観てみようかな、とただなんとなく思った。1回観ただけであれですが、彼はうじうじ系俳優としてポスト吉岡秀隆と位置づけていいんじゃないですかね?野波に久しぶりに呼び出された森山が、彼女の眼をまともに見れずに「全然」と「大丈夫」を無駄に連発して平静を装うところとか、演技している演技がリアルすぎて吹いた。お前は俺かと。


ストーリーに関してはまだよくわかりませんが、主人公がはしゃいだりうじうじするモノローグは、2010年的な表現といってよいでしょう。石田純一のトークに対して「あんな奴の言うことは信用できない」と言いながらもアドバイスどおりにメールを即返信するとか、「フェスにカップルで来る奴氏ね!」とか過激かつ情けないところは好感が持てる。主人公の年齢(29)ならまだアクセル全開で踏めると思うのですが、本人は本人で生き辛いと感じてしまうものなんですよねえ。

あと、夏フェスのシーンのためにわざわざソウルセットを登場させたり、野波の元彼から逃げ出す場面で「格好悪いふられ方」(大江千里!w)を流して笑かせてくれたりと、音楽好きにもおすすめ。
















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まず、この作品を観るにあたっては、「仁義なき戦い」のような凄みとかを期待してはいけない。たけしにはたけしの映画しか撮れないという当たり前のことを確認しておく必要がある。では、「たけし映画」とは何か。

 

 

 

真っ先に思い浮かぶのは「暴力」だが、それよりも特徴的なのが、





 

なんだか情けねえなあ







なんだか悲しいよなあ

 






なんだか切ねえよなあ

 





あるいは、それらが全て交じり合ってうまく言葉で表現できないときについ口から出てしまう、(なんだかなあ)な感覚。

 

 

 





例えば、家族恋人が死ねば、それは明らかに悲しい。

 

 

あるいは、友達のために何かしらと戦って勝つと、それは明らかに感動的である。

 





しかし私たちは、そういうわかりやすくドラマチックな出来事を、そんなに多くは体験したりしない。

 







それよりも、仲間だと思ってた奴にうまいこと出し抜かれたような気がするけどなんか面と向かって言えねえなあとか、ちょっと良いことがあったと思ったらすぐに損してプラマイゼロ、どちらかというとマイナスになったりして(なんだかなあ)とか。私たちの生活には、そういう言葉で的確に表現しにくい微妙な体験が圧倒的に多い(「いやそれ、お前だけでしょ」とかいうツッコミは断じてナシの方向で)

 

 









家族恋人が死ぬ映画を観た後、(ああ、主人公に比べて自分は幸せなのかもしれない)とか、

 

 

友達のために戦う映画を観た後、(ああ、自分もあんな風に生きられたらなあ)とか。

 


そして(まあでも映画は映画だよなあ)と自分なりに現実とのギャップを整理するメンドくささ。

 

 






そういう(なんだかなあ)な人生を送る人にとって、たけしの(なんだかなあ)な映画は、非常にリアルに感じられるはず。

 

 

 

 




なのですが、問題は、たけし特有の(なんだかなあ)な場面の切り取り方の鋭さ。それが鋭すぎて、よせばいいのになんだかしょうもない自己批評映画を撮っちゃって、その作品の外にいる監督たけし自身を(なんだかなあ)な状態にしていたのが、最近でいうと「監督ばんざい」だった。

 







アウトレイジではその切れ味を抑えて、(なんだかなあ)を登場人物の生き様にうまく集約した。いわゆる「たけし組」と呼ばれる常連の役者を排することがたけしの「甘え」を封じる方向に作用し、同時に豪華なキャスティングによって作品の華を増す方向にも作用した。








結果、ごくまっとうなエンターテイメント作品ができあがった。






予告編を観た段階では、普段ヤクザ役に縁がなさそうな俳優たちが無理に怒鳴り合っちゃってどうも迫力不足なのではないかと心配したが、そこはこの映画を語る上で本質的なことではなかった(ていうか、全員演技が素晴らしすぎでしょ)






本作品でイメージされていたのは、仁義なき戦いの893さんから今の893さんたちに移り変わる境目の、一昔前の893さんたちとのこと。そこで描かれたのは、今の893さんのリアルではもちろんなく、(なんだかなあ)な人生を送る私たちのリアルだった。話のオチを具体的には書かないが、頭のいい奴、ズル賢い奴が生き残って、頭の悪い奴、不器用な奴がなんだか情けない道化を演じる羽目になる。そんな徹底的にリアル=(なんだかなあ)な現実を突き付けるほうが、指を包丁で切り飛ばすことよりもよっぽど暴力的ではないだろうか。それがアウトレイジで新たに獲得された、たけしの暴力性だったのかもしれない。

 


とはいえ、椎名桔平の最期は凄まじい。映画の歴代死に様ランキングベスト10とまでは言いませんが、もはやアートの領域。脳裏に焼きつくとはこういうことですかと。









う”わ”って感じ。

 

 





(なんだかなあ)の表現者たけしは、映画に明確な答えを用意しない。だから日本人にウケにくく、ヨーロッパ特にフランス辺りで人気が高いというのはうなづける。べつに日本人の知能が低くてフランス人が高いとかと言いたいのではなく、国民性が真面目なので好き勝手にデタラメな解釈を叩き込んで楽しめないとか、答えを用意してもらわないと不安になるとか、なんにせよたけし映画が多くの日本人に合いにくいことは確かだと思う。
ただその、カンヌで騒がれたから日本人が興味を持ちました、でもやっぱり客入りませんでしたーなんてのも、たけしにとっては嬉しいのか悲しいのか。それこそ(なんだかなあ)なんでしょうね。

 








たけしはこれからも(なんだかなあ)を表現し続けると思いますが、アウトレイジに感じられる、日本人にしかわからない、日本人ならではの「何か」。それをまた観たいです。照れさえなければ簡単にできる人なんですが、その辺がなかなか定まらずぐだぐだしてしまうのがたけしの魅力でもあるのでなんともはや。








今回の参院選の結果をみるに、やはりしぶといなというのが第一印象。





テレビ新聞の論調でもそこそこ逆風だったが、この辺が限界だったか。





しかしもし全ての無党派層がインターネット(特にニコ動)で国会中継を見てくれてたら、歴史的な大敗になっただろうなと思う。






国会中継はべつに政治に関心も知識もない人がみても、エンターテイメントの1ジャンルとして楽しめます。これ本当。









今回の敗北の原因はいくつかあるが、一番大きな原因が総理の消費税発言であることは疑いようがない。




小鳩の退任でクリーンな内閣、クリーンな執行部のイメージのまま黙っていれば良かったものの、




財政危機の中、消費税の議論から逃げないのが責任ある内閣、与党のあり方だと考えてのことだったのだろう。





しかし悲しいかな、昨年の衆院選では消費税は最低4年絶対上げないと豪語していたのです。








私の適当な記憶では消費税の議論すらしないと言ってた人がいた気がするが、確認する気も起きない。みんなバラバラ、同じ人でも時期によって変わるし。











マニフェストと逆のことを言われる、実行されるのはもう慣れたが、あれだけ声高にマイクで叫ばれれば、さすがに神経を疑う。







逆風が吹いたとみるや、途端に
「参院選後にすぐ消費税を上げるわけではありません!」
とのこと。





しかし敗北直後の記者会見で総理は、消費税に言及したのは、「財務大臣の経験から、ギリシャのような財政危機を回避したかったから」だという。









じゃあ、やっぱりすぐに消費税を上げるかもしれないんですか?(´∀`;;;)


と思ってしまう。





個別の発言の中身はともかく、全体的にみると論理的な人であるとは思えない。






総理は記者会見で、「私の説明が不足していた」点を詫びるとも言っていた。








確かにそのとおりでしょう。説明不足というのがさりげなく軽い過失のように聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。








かつて国の説明責任、アカウンタビリティを連呼してた人ですから、その重要性は誰よりも認識しているはず。









と嫌味はさておき。








消費税増税でも法人税減税でなんとかなる?私にはわかりませんねー。








この際政治主導とかも忘れますから、財務官僚に手伝ってもらって徹底的に説明責任を果たしていただきたい。








それでも国民が納得できそうにないなら、総辞職or解散総選挙。それが総理の取るべき責任なわけです。










ま、きれい事ですけどね。












あとはそうですね、これで自民が勝ったとか、みんなの党が躍進したとか喜んでる場合じゃないかなと。





与謝野さん、舛添さんなどの離脱者がいてもなお優秀な人が多いですけど、特に何か変わったわけではありませんし。あのくだらない転倒騒ぎに巻き込まれるような甘利さんの脇の甘さが党全体にも残っているようでは、まだ不安。




みんなの党は、自民でも民主でもないなんて言ってますけど本当ですかね?とりあえず小さな政府には反対なので投票しませんでしたが、しばらく見させていただきたいです。






まあ、政策についてよくわからなくても、その人が信用できるかどうかくらいは判断できます。それで十分ですし、逆にそれくらいのことはすべきじゃないかと思います。選挙も所詮は人気投票。




てことで最後に一言言わせてください。









みずぽタン(*´д`*)ハァハァ








嘘なう。


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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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