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今さら私が言うのもなんですが,議論に値しないほど低レベルな話について真面目に語ることほど気恥ずかしいものはありませんで。
例えば,非実在青少年なる概念をひねり出してみたりとか。
例えば,親による子供の虐待死について,マスコミがもっぱら児童相談所のせいにしてみたりとか。
最近,本来国家が介入すべきでないエリアがよく問題になる。
本来国家が介入すべきでないのに,家庭やお隣さんなどの共同体が崩壊して最低限の機能を果たせなくなったがゆえに,国家の介入が議論されてしまう。
共同体の崩壊とか最近に始まった話じゃないけど要するに,いい歳した大人がお隣さんとろくに挨拶もできないとかね。私も相当にバカでダメな大人だけど,そういう最低限のことすらできない大人(のフリをした子供)には負けたくねーなー。
といいつつ,私は何も世の中に向かって皆さん大人になりましょうとか叫びたいわけではなくて。
随分前の雑誌の対談で,小山田圭吾と砂原良徳がバカと利口の二極化がどんどん進むって言ってたのを思い出しますが,確かに状況はどんどんひどくなっていってるなーと。
ただその,何と言いましょうか。
ここで突然音楽の話。
今の時代ロックが表現としての説得力を失ったのは,ロックが上とのしがらみを断って人種性別国家を越えて横に連帯することを目的としていたことによる。というのは,上とのしがらみが強かった昔は,ロックがまさに反抗の音楽として機能した。その反抗は成功したのかもしれないけれど,いざ本当に横とつながれるかっていうとそれは幻想でしかなかったんだなとみんなすぐ気づいちゃう。ロックなんて嘘っぱちだし所詮ガキのオモチャでしかなかったんだってね。
それをごまかすために意味から逃げた80年代。リバイバルと称して先人の遺産を食いつぶしたり(これが無意識的に上の世代に甘えていたというオチ),あるいはヒップホップだテクノだと色々まぜて音の強度を高めたりした90年代。しかしそれも911とKID Aでトドメ。ネタが尽きてベタな80年代ポップスに逃げた00年代。MJが売れたのは死んだからだけでなく,10年以上偽物で楽しんでた人が本物の凄さを改めて思い知っただけというかそのほうが大きいのではないかなと。ま,年代は適当に言ってます。
私がロックに飽きたのは若くなくなったからだと思い込んでいたけど,こうして考えると,少し違う気がしてきた。もし私が若くて何らかの才能があったとしても,この時代に説得力のある表現をしようと思ったら,少なくともロックだけは選ばないでしょう。今リアリティのある表現をするためには,必然的に破壊された人間関係の再構築を意識せざるを得ませんからね。それは,反抗,破壊に威力を発揮するロックでは無理。ロックに限らず,ロック的な気質を持ったミュージシャンほど長くアルバムをリリースできないでいることも無関係ではないかも。また,昔のバンドがわりと簡単に再結成しちゃうのは,そのバンドがロックという足かせを外しやすかったから。うん,なんか同じようなことを前にも書いた気がしてきたな笑()
だからといってべつにロックが劣っててアニメが優れているとか言いたいわけじゃありませんが,良質な表現者というのは例外なく時代のリアリティを汲み取って表現に注入することで説得力を産み出すのであって,それはもう,ポニョであれエヴァであれサマーウォーズであれ東のエデンであれ化物語であれガンダムUCであれ,近時の良質なアニメ作品全てに共通していることなんです。偶然だろとか何故なんだとか言われても,実際そうなっちゃってるんだからしょうがない。同時に,そうでないクソアニメの多さも目に余りますがね。
父親母親との関係を描くことで人物描写に厚みを出すのが表現のテクニックであることはもちろんでしょうが,今はそれだけにとどまらず,時代のリアリティを獲得するという意味でも余計に重要性を増しているのではないかと。
・・・とこんなことをまた書き出したのは,昨日観た東のエデン劇場版Ⅱのセリフに影響を受けてのことでございました。
まあ,作品自体は鑑賞をお勧めするほどのものでは全くありませんが,そろそろ更新を休みそうですし。
とりあえず以上。
なんだかんだ言って両方買うてもた(;´Д`)
あとは,PS3とともに購入したマイケルのThis Is Itとダークナイトの計4点を所持しております。
まあ,私もブルーレイその他諸々についてそんなに詳しいわけではないのですが,私よりも詳しくない人のために参考になればと。
・ブルーレイで観る価値のある作品の少なさ
実写ならともかく,アニメをブルーレイで観る価値はないという意見をよく聞きますが,両方観た感想としては逆じゃないか?と。昔のディズニーアニメを想定しているか知りませんが,今は全然違いますからね。CG映像や日本のアニメーターさんの仕事のキメ細かさは,ブルーレイでないと感じにくいと思いますね。少なくとも,ガンダムユニコーンをDVD画質で観たときはなんかこう色の種類が少なくベターっと塗ってある感じで,率直に言ってありえんなと。
ブルーレイソフトの売り上げのほとんどはアニヲタが支えているとか揶揄されていますが,DVDかブルーレイかの二択なら,アニメに関しては迷わず後者であって,アニヲタはデート代がかからないから趣味にカネを惜しまないとかそういう問題ではない(といえなくもない)です。まあもう,ブルーレイに移行するように無理やり仕向けられているのでしょうね。にもかかわらず,アニメのブルーレイは平均的に高い。買う価値のある作品は決して多くないから助かるのですけど。
他方,This Is Itはリハーサルを撮ったカメラがそんなに良いわけではなかったせいか,画質自体にはさほどありがたみを感じなかったです(ただし,音には違いがあるのかも)。たぶん実写の場合,プラネットアースみたいなあのテの映像作品でないとブルーレイの恩恵を感じにくいのではないか。その証拠に,世界に4台しかないという超高性能カメラで撮られたダークナイトについては,画質だけでも十ニ分に大満足(しかも3000円前後で安かったし)。
結局,ブルーレイで観る価値がある作品とは,アニメあるいはSF作品のように画面の解像度の高さが活きるものに限られるのであって,そうでない作品についてはブルーレイが望ましいかな程度でしょう。そうするとブルーレイなんて,私のようなアニメ好きSF好きな人間しか喜ばない,という言い方もできるかもしれません。
なんにせよ,ダークナイトのブルーレイはガチ。
・高額なブルーレイレコーダー
以前所有していたDVDレコではたまにせっせとDVDに焼いていたけど,結局めんどくさくなった。なので私としては,ブルーレイの再生機能とHDDレコがあればいいと思っていた。しかし,現在はブルーレイ録再+HDDかDVD録再+HDDの実質二択で,結局東芝のDVDレコを買う羽目に。
「ブルーレイ高いすねえ」(;´Д`)
と店員にグチると,
「某価格検索サイトのおかげですぐ価格が下落するので,こまめに新商品出して価格を維持しないと利益があがらないんです」°・(ノ∀`)・°・
と逆に嘆かれる始末。ブルーレイレコに必要なのかなんだかわからない新機能がいろいろと付いているのは,そういうことなんだとか。というか,ブルーレイに録画すること自体必要なのか?というのが最大の疑問だったりする。
そう考えると,PS3でブルーレイの再生だけはできて,かつトルネをつなげて地デジ録画できるというパターンで4万円前後で済ます,というのも現時点では妥当な選択かもしれない。私もそうしたかったが,トルネでは同時録画とBSが無理なので断念(サブ機として買うかもだけど)。ソニーがトルネを出すことで,同等の仕様でリーズナブルなレコーダーは当面出てきにくい気がします。
・ブルーレイの将来性への不安
買ってしまった今となっては,気にしてもしょうがないかなと。まず,HDDで十分という意見には基本的に同意ですが,前触れもなくクラッシュする危険性という点で絶大な信頼を置けないのは常識。やはり,安全かつ手軽に持ち運びのできるメディアは欲しいところ。ブルーレイより高性能な光ディスクが登場する可能性は十分あり得るけど,仮に今そうなったとしても,ブルーレイ対応の再生機器が完全に消滅するまでには,テキトーに考えても5年以上はかかるでしょうね。まあ,ブルーレイだろうが次世代の光ディスクだろうが,大容量のSDカードみたいのが安く供給されるようになるまでの命であることに変わりはないと思います。
こうしてみると,ブルーレイのソフトであれ録画機であれ踊らされているなあと思う反面,作り手は生き残りをかけて必死なのだなと感じさせられます。原因を辿るとインターネットの普及が一番大きいのかもしれませんが,よくわかりません。まあ,私は踊らされる分には特に損害はありませんけどね。高いったって買っちゃえば忘れてしまいますし。
熱中時代の熱血先生というおぼろげな記憶くらいしかないが,水谷豊は本来は熱い,感覚的な演技をする役者だと思っていたので,杉下右京というクールで理知的な人物を演じさせるのはいかがなものか,シリーズが始まった当初は考えていた。杉下右京のような役を演れる役者はいくらでもいるだろうに,わざわざ水谷の持ち味を封じる意味があるのだろうかと。
しかし,水谷にとって,自分の個性と真逆の役を演じることは役の幅を広げることにつながったかもしれない。いずれにせよ,相棒がシーズン8まで続くヒット作となったのは,彼の役者としての才能,センス,努力によって,
水谷豊=杉下右京
というイメージを定着させたことが大きかったと思う。相棒のストーリーについても一定の評価はあるようだが,その点については私は役者に助けられている部分が大きいと思う(まあ,相棒に限った話じゃありませんが)。
先週20%を越えたスペシャルは,顔認証システムというアニヲタからすると今さらなネタであるとか,捜査の内部情報的な話を公の場で平気で話すとかについて,色々と目をつむって見ていた。杉下が,ミッチーから「たとえ警察内部の暗い部分を見ることになっても特命係に居続けるんですか?」と問われて,「そうです」と覚悟を示すシーンが肝なのだけど,よくよく考えれば,官房長官(岸部一徳)の後ろ盾で守られている間は好き勝手やれるのだから,そんなカッコつける場面でもないのですよね。だからあのシーンの迫力がイマイチな(と私が感じた)のは,ミッチーの問いに「たとえ官房長官の後ろ盾がなくなっても」という条件を追加しなかったせいだと思う。
そもそも,杉下と官房長官の関係,というか官房長官が杉下に好き勝手やらせる意味もわからない(全部観てないから当然だけど)。杉下を泳がせて私腹を肥やしているのか?官房長官は正義か?悪か?と観る者に想像を働かせる奥深さが感じられない。
例えば最後,杉下が官房長官に向かって,顔認証システムが海外に売られて国に損害が出るのはあなたのせいだと言って去るシーン。杉下が一本取ったような流れがきて,その後(じつは官房長官が杉下の知らないところで一枚上手を取っているんですよ)とくるのかと思いきや,ではなくそのまま終了。もったいない。岸部の使い方をもう少し丁寧にするだけで,ぐっと良くなるのになあと思わなくもない。
というか,ゴールデンタイムのドラマである以上,「ながら」で観られるものでなければならないのであって,そこでは巧さよりもわかりやすさが優先し,集中して観るタイプの人にとっては物足りないものにならざるを得ない。少なくとも,アニヲタの根拠のない上から目線を満足させられるようには作られていない。だから,相棒のストーリーが評価に値する,というのがゴールデンのドラマとして,という意味なら全く異論はない。
ただ,どうだろう。及川光博を起用する意味はあっただろうか。役者としてのスキルについて私は分からないのだけれど,及川光博はミッチーという唯一無二のキャラクターを演じられる,と同時にそれしかできないから素晴らしいアーティストなのであって,神戸尊のような,それこそその辺の役者でもやれそうな普通な役を演じさせる意味がわからない。観ていても,神戸が熱いのかクールなのか,頭が良いのか悪いのかがわからない。その立ち位置のブレ方がミッチーらしいといえばらしいが,あれを相棒のスタッフが狙っていたとは思えないしなあ。
だから結論としては,もしも北野広大とミッチーが刑事でペアを組んだら?というドラマにしてくれれば良かったのですよね。
そうすれば,踊る大捜査線よりも踊る刑事ドラマの出来上がりですよ。加えて,岸部をもっと変態に描いてくれたらもう,とてもゴールデンタイムの商品にはなり得ない。私は観るけど。
なんにせよ,相棒の役者の使い方は非常にもったいないんじゃないかなーとなんとなく思っています(まあ,相棒に出たことはミッチーのキャリアにとってもプラスになっただろうから,ミッチーを応援している者としてはありがたい部分もあるのだけれど)。
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