~語るべきことなど何もないのに~
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寅年になってもウシですあけましておめでとうございます。
今さら特に言うこともありませんが、今年もよろしくお願いします。
ということでさっそく紅白。
ここ数年思っていたことだが、まずその、NHKからのオファーを蹴ることがロックであるとか、反体制でカッコイイとか、アーティストとしての正義であるとか、そういう古臭い勘違いはいい加減やめて欲しいと思う。
紅白は虚栄のショータイムとか偽善の祭典とかよくいわれるし、そのこと自体私は否定しない。現場にいたら凍ってしまいそうな寒々しい演出はそこかしこにある。だがしかし、こう思う。
だから何?
(´・ω・`)
紅白を嘘っぱちだと言うのは、ポップスを嘘っぱちだと言うのに等しい。それは批判すべき対象ではなく、評価の前提でしかない(批判すべき点は他にある。)。
だから私はそのテの紅白批判、NHK批判を聞くと、なんだか思春期の子供相手にマジレスしなきゃならないような少し恥ずかしい気分になってしまう。絶対ないシチュエーションだけど、
大人はみんなウソツキだ!
とか大声で言われちゃったら恥ずかしいじゃん。とりあえず落ち着けとしか返しようがない。冗談はさておき。
前にも何度も書いているが、自分の表現をより多くの人に観てもらいたいと思わないアーティストは、アーティストではない。自分の表現をより多くの人に観てもらいたいと思うのであれば、そういう場に飛び込むのがアーティストのあるべき姿。その場がたとえ、虚栄的、偽善的な空間であったとしても、それをすべて引き受けた上で自分の仕事をし、本物とは何なのかをわからせてしまう。
そういう文脈で言わせてもらえば、2009年の矢沢永吉はまぎれもなくアーティストだったし、これからもそうあり続けるだろう。彼が紅白に出たことに何かしらの批判を向ける人に対しては、もういい加減気づけよと言いたい。自分のファンだけがいる空間でせせこましくライブをやっているようでは、いつまで経っても子供だし小物。レコード会社に宣伝してもらって、もし気に入ったらライブ会場に来てみて下さいみたいな貧乏臭い庶民派バンドばかりだから、ロックは死んだっつうかそもそも見向きもされなくなってるのである。NHKはギャラが安いのに拘束が多いとか?幼稚すぎて反論する気も起きないよ。
もっとも、私もNHKのやることが完璧であるとは思っていない。
今回の紅白リハーサル後に、布施明が後進の若手に道を譲るといって次回からの出演を辞退することを発表した。紅白が演歌とJ-POPに二極化してしまってポップスが軽視されている、名前だけで出るのはおかしい、自分よりも平井堅のようなシンガーが出るべきである、と公の場で堂々とNHK批判を述べた姿は非常に清々しかった。そして彼が今回歌ったMY WAYからにじみ出たポップスへの愛情と歌手であることの誇りが、その発言に説得力を与えていたと思う。
ポップスとか歌の力というものが具体的に何を指すのか説明することは難しいし、そもそも言葉で説明しきれるようなものではないのかもしれない。説明しようとすると、すでにここまでの私の文章のように寒い感じになってしまう。うまく言えないが、だからこそNHKが紅白で悪戦苦闘しているのもなんとなくわかる気がするのである。今年もさそり座の女でいいのか?粉雪がなぜ今年なんだ?清志郎じゃなくてマイケルジャクソンの追悼でいいのか?それは受け手だけでなく送り手も重々承知のはず。その程度のことに想像力を働かせることもなく紅白批判とか・・・いいや。具体的に誰に怒ってるわけでもないし(^^;;
まあ怒っているといえば?さそり座の女2009春日リミックスの映像、音、演出はくだらなすぎて危険なモノだったと思うが、そういうNHKの暴走に対して何らツッコミが入らないこと。DJOZMAの例を挙げるまでもなく、公共の電波で、よりによってNHKがこんなことやっていいの?と思うような過激なことをどこかに入れてくるのを見つけるのが紅白の面白さなのに。キムタク通訳&スーザンボイルの歌の救われなさもワロタけど。
以上述べた以外にも紅白については不満に思うところが1割褒めたいところが9割あるし、各歌手ごとにコメントしたいこともあるけど我ながらキモイのでやめときます。とりあえず新年1発目に言いたかったのは、紅白は嘘っぱちだけど格闘技はガチだから面白いとか言って普段全然関心のない格闘技を見るくらいなら、まだ劣化したガキ使見てたほうが踊らされてないかなっていうね。
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東のエデン
どのジャンルの表現にも言えることだが、一般人に観てもらうためには、マニアに叩かれることを覚悟の上で表現の濃度を薄める勇気と同時に、より多くの人(価値観の違う人)に理解してもらえるよう表現の強度を高める必要がある。そういう意味でこの東のエデンは、攻殻機動隊のような硬派さでヲタクをうならせるのとは逆方向に向かう挑戦的な作品だったし、劇場版の客層を見る限り、それは成功だったと思う(まあ、ヲタクとか一般人とかで線引きをする発想自体すでに前時代的なのかもしれないけど)。
内容も、今の若者が感じているであろう閉塞感を、携帯、ニート、ネット、ミサイルなど時代のキーワードに乗せて論じる一方、トマホーク60発が日本に降ってきたりとエンターテイメント性も十分。
劇場版に関してはまだ次回があるので何とも言えないが、わかりやすくしようとしすぎて説明的なセリフが多いのが私にはストレスだった。
カールじいさんと空飛ぶ家
海外アニメなんてウォレスとグルミット以外認めねーよと思ってた私ですが、素直にこれは良かった。宣伝広告に寄せられた宮﨑駿のコメントが確か、「じつは最初の追憶のシーンだけで満足してしまいました」と彼特有のひねくれた言い回しだったので非常に気になっていた。そして観てみるに、見事にその追憶のシーンで泣けた。そこだけならTHE・映画。
この作品の持つストレートさは、初期の宮﨑作品に通じるものがあるように思う。例えば子供をおっかけるためにカールじいさんが家の荷物を捨てるという、亡き妻への未練を断ち切り新しい冒険に出る重要なシーン。だけど思い出の椅子は投げ捨てず、きちんと並べておくみたいな、ちょっとした暖かさ。ああいう暖かさが世界に蔓延してくれたらいいのに、と恥ずかしげもなく思ったりして。THE・アニメといってよいでしょう。お子様連れオススメ。ちなみに、3D版で観る必要性はそんなに高くないかなと思いましたが話のネタにはなるかもです。
CANAAN
スナイパーがスコープを覗きながら不気味にニヤっとするベタすぎるシチュエーション。それをやってしまうのか、やらずに凄みを出せるかどうかで、その作品が観るに値するかどうかがほぼ判定できる気がする。この作品はやってしまっていた。そのわりには観られたのは、主人公たち(カナンとマリア)に比べて脇役たちが無駄に魅力的だったことによる(年中生理でムカついてそうな女とか、モデルガンで撃たれて悶えるM男とか最高)。しかし、これは2クールじっくりやるべきだったのではないだろうか。
クロスゲーム
あだち充原作の野球漫画。原作は読んでいなくても、原作に忠実に絵コンテが描かれた作品であることが窺える。それはつまり、あだち充作品のクオリティが非常に高いことの証拠でもある。ただ、漫画から感じられる(であろう)テンポ、スピード感のほうが圧倒的に上と思われるので、アニメ化の意義はあまり感じられない。ついでにいうと青葉のいとこクンの存在意義もほとんど感じられない。
涼宮ハルヒの憂鬱(第2期)
第1期が神作品になったのは、一番面白いといわれる「消失編」を除いた中で面白い部分を優先的に抽出したことと、山本寛の暴力的な演出が大きかった。そうだとすると、第2期が原作の残りの部分を山本寛抜きで、かつ、第1期による期待のハードルが上がりまくった中で苦戦を強いられたのはやむを得なかったと思う。クオリティ自体はさすが京都アニメーション。しかしネックはやはりエンドレスエイト8連発。
同じようなエピソードを8週連続でやるという無謀な試みは、ハルヒという存在の本質的な恐ろしさを表現する上で確かに効果的だった(私はその勇気を買いたい)が、効果的すぎたがゆえに、視聴者の理解はあまり得られていなかった。まあでも。京アニのような職人集団にとって、このテの挑戦と失敗は許されるべきだと思うし、アニヲタを怒らせるくらいの気概がないと表現として狭くなってしまうと思うのですよね。劇場版の「消失編」に大いに期待。
真マジンガー 衝撃!Z編
タイトルから知れる通り、アニメ好きでマニアックなオジサンしか喜ばない作品。マニアックではないオジサンの私としては、久しぶりに会った酸素欠乏症の父から、最新型だ持ってけ!と時代遅れの機械を渡されたアムロの気分。監督が確信犯なのか頭がおかしいのかがわからない。両方かもしれない。
ストーリーのハチャメチャぶり、スピード感だけでなくセンスの古さも群を抜いていて、正直全然ついていけない。最後の意表を突くバッドエンドは、続編がなければとても許されるようなものではない。作り手は、賛否両論で終わらせておいて盛り上げるつもりだったのだろうか。しかし、よほどのマニア以外はついていけず、ついていけたマニアは大抵肯定するに決まっているのだから、その目論見は(あったとしても)完全に不発。まるで、裏の裏をかいてストレートを投げさせてホームランを打たれる阿部慎之介のよう。ていうか大暴投。圧倒的な個性と世界観を持つ永井豪作品にとってこの評価は褒め言葉かもしれないがそれだけに、もはや時代の空気とは決して交わらないところにある。良く言えば孤高。
うみねこのなく頃に
これを無理矢理推理モノに位置づけるとすれば、相当に型破りな推理モノといえる。なんせ、目の前で魔女が、「私が殺った」と言って人を実際に殺しているのに、主人公が「全然認めねえ」って魔女の存在を否定するわけだから。そもそもストーリーの枠をはみ出した魔女の存在を出すこと自体、推理モノとしては自爆行為であり、結局そこを楽しめるかどうかにかかっている。少なくとも、この作品を理解するには「論理」という概念に対して非常に柔軟であることが必要である。ていうか、「論理」より「情熱」を重視する人でないと、そもそも竜騎士の作品は無理かもしれない。だから私はこの挑戦的な作品を、挑戦的であるという1点のみにおいて支持するのだけど、ひぐらし~のあのインパクトを超えたと評価するのは難しい。
ちなみに最後は、戦人が、魔女でない人間Xが殺人を行った可能性を証明しただけであって、魔女が殺人を行っていないこと及び魔女ないし魔法がこの世に存在しないことを証明したことにはなっていない気がするのですが・・・ま、こんな感じです。
空の境界
劇場版7部作を数行で語ること自体無理がありすぎるのだけど、とりあえず第5章「矛盾螺旋」は燃えた。それまでのエピソードは第5章を理解するためだけに存在し、第6章はオマケ、第7章は形式としてオチをつけたといったところ。といいつつ、第1章の絵のキ○ガイレベルの細かさは素人目に見てもやばい。
本作品全編を通じたテーマは、「なぜ人は人を殺すのか」(人に自分を含めたのが第1章)。
その答えが第7章において「殺人」と「殺戮」の違いとして語られるのだが、個人的にはわかりやすくなるほどと思えるものだった(恥ずかしいので書きませんが)。ただ、殺人の意味については、奇しくもうみねこ~の中でも同じように語られており、残酷な殺人の描写をする両作品の作者が共通の認識を持っていた、というのはなかなか興味深かった。意外と考えて首を飛ばしたり体をねじ切ったりしているんだなーと。
ちなみに、以前アニメで好きな女キャラを問われてマジレスもネタレスも浮かばず困ったことがありましたが、ここに登場する蒼崎橙子様はかなりツボでございます。知性、母性、ドSの3拍子。キモくてすいません。今から死んできます。じゃまた。┌(´∀`)ノシ
ホワイトアルバム(第2期)
第1期を我慢して観た甲斐があった。ギャルゲー原作(?)のセオリー通り(?)、主人公・冬弥はこれでもかこれでもかとモテまくる。この冬弥の空っぽさというか浅さというかただれっぷりをみてると、確かにこういう人いたなあと。モテる奴はどこ行ってもモテるのだから、ある意味リアルなのかもしれない(もっとも、最後にそれなりの説明がなされるのだけど。)。
しかし、こんなアイドル2人と三角関係、さらに増えるみたいな今時恥ずかしい話を私が観られたのは、劇中の大物プロデューサー緒方英二を通して語られる音楽論、ポップス論が的確すぎたことによる。アイドルが出てくるのにアイドル論は一切語らず、話の本筋と離れたところで本質的なことを語ってしまう過剰さは嫌いじゃない。ポップスの魔法を信じているダメ人間として、親近感を覚えざるを得なかった。
それでいて、心理描写、人物描写のために説明的なセリフを使わないところも良い。例えば、ある事件により打ちひしがれた英二のもとに駆けつけた由綺(冬弥の恋人)が同情のキスをするも、舌を入れられて思わず突き飛ばしてしまうシーン。英二カワイソスで笑えるのだけど、英二と由綺という人物の本質的な違いが端的に出ていてなかなか良かった。演出が丁寧であれば、説明的なセリフはほとんど不要であるという良いお手本だと思う。
Darker Than Black-流星の双子-
続編らしいのだが、前作を知らない私にはワケわからないまま話が終わった。最初のほうの戦闘シーンはバキバキな音楽とあいまって結構シビれたものの、それ以降はわりとしょーもない。なのに最後まで観てしまったのは、主人公スオウの若さ特有の不安定な感じと、中年入り口付近のBK201の絶望一歩手前な佇まいの双方に自分を重ねてしまったからかもしれない。作品は子供向けでも、作っている人がロックを通過してきた大人であることはわかる。だが、そう感じた自分がなんか恥ずかしい。
プラネテス(再)
最初は地味な佳作程度に思っていたが、中盤から終盤にかけてグイグイきた。自分の現状に何かしらの不満、疑問を感じている人にとっては、間違いなく10年に1度の作品。名作認定。
天体戦士サンレッド
この作品が未だに実写化されないことに呆れます。不景気じゃB級モノにはカネを出せないってことでしょうか。恐ろしく低予算で大ヒット飛ばせる気がしてならないのですが・・・。
東京マグニチュード8.0
現在の東京で大地震が起こったら─ というシミュレーションアニメ。この作品をリアリティで評価するか、それともドラマとして評価するかは非常に難しい。作り手としても、そのバランスが最大の悩みどころだったのではないかと推測する。ドラマの面からいえば、孫をなくしたおじいさんと出会う中盤以降から毎回泣かされた。しかし最後にして最大の泣きどころは、どんなに駄作になろうとも違う結末にして欲しかった。
ライドバック
第1話のクオリティだけなら年間1位かもしれない。放送が始まったときはさすがマッドハウス、とOPを繰り返し見たものだったが、ストーリーの枠がテロに移行するにつれて徐々に残念になっていく。もっともそれは、原作の設定自体の無理さに原因があって、テレビはうまくカバーしたほうではないだろうか。主人公の内面の描写からブレなかったのは良かったと思う。
リストランテ・パラディーゾ
オノナツメ原作。腐女子向けのせいか、オッサンの私は感動もなければムカつくこともない。平凡であることが一番の幸せみたいな。ストーリーからにじみ出る平和さと映像の暖かさとがあいまって、なんか和んだ。途中で観るのやめたけど。
鉄腕バーディDECODE02
第1期とは異なり全体的に暗いトーンでストーリーが進んだため、エンターテイメント性は少し弱かった。しかし、架空世界の描写を通じて現代世界への問題提起を行った点では、至極まっとうなSF作品だったと思う。最終回の戦闘シーンの意図的(?)な作画崩壊、私はもちろんアリ派。
けいおん!
今年一番話題になったアニメといえばコレ。乱暴に言えば、アキバ系ちびまる子。もっとも、一般人の鑑賞には十分耐えうるものになっている。褒めるところが多すぎるのでいちいち書かないが、主人公・唯の、高校生になって私は、部活を始めました!っていうセリフから放たれたキラキラ感が、この作品の格を1ランク上に押し上げていると思う。けいおん!を観てギターを買ったミーハーさんが結構いたというのもうなづける。てか俺もバンドやればよかったとか思ってしまって少し恥ずかしい。私のお気に入りは第5話と第11話。
大正野球娘。
大正時代のお嬢様女子高生が、なぜか男子高校生と野球の試合をするために頑張るという、秋葉系ど真ん中の萌え萌えスポコンアニメ。けいおん!と同じ枠だったので惰性で観たが、時代のリアリティ、ニーズのどのヘンからこれをアニメ化しようと思ったのか聞いてみたいくらい、何の必然性も感じない。ナシすぎて逆に笑えた。しかし価値観抜きで言えば、クオリティ自体は安定していたと思う。まあ、不眠症の人には是非オススメ。絶対眠れる。
青い花
オーソドックス部門では今年1位の作品。音楽の使い方、声優の使い方、原作アレンジの仕方とあらゆる面が効果的に機能していた。まるで、一見地味だがバランス良く丁寧に作られたラーメンのよう(まあ、OPに空気公団を起用してくれた時点でアリの推定が働きまくったのは否定しないけど)。
主人公のふみよりも、交際相手のヤスコ(つまりいわゆるGLモノ)のほうが立体的に描写され、彼女の孤独感がよく表されていたと思う。特に、嵐が丘終演後にヤスコが泣くシーンとそこまでのもって行きかたは非っ常に素晴らしい(何度も観てしまった)。涙って理屈で出るもんじゃなくて、感情があふれ出したものなんですよね。当たり前の話なんですが。
女子高でGLという現象がどれだけあるのかよくわからないが、少なくとも恋愛食物連鎖のトップに君臨するのは天然キャラの人間である、という摂理にさりげなく則ってるところはなかなかリアルなのでは?
化物語
アヴァンギャルド部門では今年1位の作品。これまた褒めるところが多すぎるので困るのだが、この作品を楽しめるかどうかは、この作品に関わっているであろう30代~40代くらいの大人たちの確信犯ぶりを楽しめるかどうかによる。その確信犯ぶりは、草食系イケメン男子と肉食系(?)ツンデレ美少女のキャラ設定であったり、まよいマイマイ編OPの悪ふざけであったりと、作品の至る所に感じられる。特に良かったのは、主人公暦の相談相手である忍野メメのキャラ、中の人櫻井孝弘の演技(特にするがモンキー其ノ参は地味に圧巻。)。私もああいう見透かした中年男になりたかった。ま、最後に星を眺めるところは羨ましかったですけどねどーせW
空中ブランコ
前に背負っているようで背負っていないと書いたが、そうではなかった。背負っているようで背負ってないと見せかけて、やっぱり背負っていた。色んな心の病の患者に対して、この部分は自分にもあるなとかここは自分は大丈夫だなとか軽く笑っていたのだが、最終回「カナリア」を観て、もしかしたら自分も無自覚にカナリアを死なせているのかもしれないと思った。やられたの一言。
劇場版マクロスFーイツワリノウタヒメー
案の定、というべきか。盛り込みすぎて盛りつけが雑になったけど勢いで出した中華料理みたいな印象。テレビ版の1話~7話をリミックスしたアナザーストーリーなのだけど、そもそも高いクオリティだった1話~7話を、(個人的に神回だったスターデイトを中心に)崩す意味はあまり感じられなかった。まあ、映画化ありきだったのだろうけど。
古い話だが、「愛・おぼえていますか」の感動は、輝から愛を得られなかったミンメイが、自分から愛を歌に込めることによって奇跡を起こしたことにある。何故歌とか愛にそんな力があるのかわからないが、しかしそのわからなさが逆に説得力を持っていた。
他方、マクロスFのコピーは、「歌で銀河が救えるわけないでしょ」である。愛おぼ時代のお気楽さに対する自己批評と思いきや、その点については何ら新しい回答は示されなかった。たぶん示せないのだろう。アルトとランカとシェリルの三角関係は続いたまま、結局は歌の力だけでねじ伏せている。しかも歌の力が、異星人の血というアニメ的にありがちな理屈によって説明されることにより、逆に歌の力を矮小化してしまっているのではないか。
輝は相当軟弱な男だったが、きちんと美沙を選んだ。しかしアルトがどちらかを選ぶ場面は想像つかない。流れにまかせて選ばれるのを待ってしまうのが今時の男性のリアリティ、と言われてしまえばそうなのかもしれないけれど。
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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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