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~語るべきことなど何もないのに~
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いかんいかんいかーーーーん!!!!!!!○| ̄|_





流れのまにまにアニメ話してたらもう9月ですよファーーーーーkック!!






680 名前:名無し募集中。。。 投稿日:03/12/21 15:13
ちょっと前、あるネットゲームで出会った外人との会話。

外人 『Japanese! Japanese!』
俺 『うっせえよ毛唐、英語が世界の共通語とかナチュラルに思ってんじゃねえよ』
外人 『hmm…』

俺 『Fack you』
外人 『oh』

外人 『miss spell』

外人 『Fuck you』

俺 『Fuck you』

外人 『good!』

その後、一緒に冒険に出かけ、友人になった


( ^ω^)・・・






2chネタをコピペしてる場合ではありません。早速2日目のステージをば。








UA
今でも梅雨には必ずあめふりヒヤデスを聴き、夏の終わりには必ずプライベートサーファーを聴く程度ではあるが、UAを聴かない年はない。その頃のUAは、私にとって、女性アーティストとしては絶対的な存在であることは確か。

けれど、最近のUAの活動は親しみやすいポップスからどんどん離れて遠くに行き過ぎて、私にはもはや存在自体が見えなくなってしまった感じ。昔みたいにUAのライブだからといってウォーッとはなれなくなった。そういう状態で今回臨んでみるに、まあ思ったとおりUAの存在感、ボーカルの迫力は健在だった。よりヘンというか、より動物的になってたと思う。





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爆発の瞬間ではないです








UAのバックバンド(いつも演奏が素晴らしすぎるとのだけど、ボーカルに耳を奪われてつい忘れてしまう)は大体ジャズ系が主体ですが、UAもその楽器隊の一部としてフリージャズを奏でているみたい。UAのような動物的な自由さを持つミュージシャンってあまり思いつかない。いつも同じところにはいない。気の赴くままに感じたことを歌にする。だから、いつまでも同じ場所にいる私のような人間にとって、親しみやすい歌を歌うはずはないわけですよね。










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せめてFOHには移動します













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そして食う。







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まだまだ食う。








食いまくって排便を促そうとするも、失敗して体が重くなっただけっていうね( ^ω^)







SKA FLAMES
とりあえず、スカフレイムスの素晴らしさについては前に書いたし、その評価は今回観たライブでも何ら変わらなかった(まあ、セットリストもほとんど一緒だったし)





ゆったりとしたメロディ。



ゆったりとしたリズム。



ゆったりとした歌詞。







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ゆったりとしたお腹






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写真見れば客がいかに楽しそうにしているかおわかりかと思いますがまあ、いいからとりあえず来てみてよ。
不思議な踊りを踊っている私たちが、あなたのMPを吸い取ってあげますから。











忌野清志郎スペシャルメッセージオーケストラ
RCサクセションというと、何故か高校のときに「Baby a Go Go」だけは聴きまくってた(46分テープ!にダビングしたらちょうどぴったりだったので感動した記憶がある)けど、あまりよく知らない。

タイマーズだって、誰がやっているとかこんな過激な活動をしていることを知ったのも随分後の話(まあ、アルバムが発禁になってるから無理もないか)。ていうか「Baby a Go Go」だってタイマーズのアルバムだとさっきまで思い込んでた。

かと思えば、何年前かに観た清志郎の年越しライブでは涙目になるほど感動したこともあった。彼がうたばんに出たときに必ず録り見してた。

こんな感じなので特にファンを名乗る資格はないのだけど、それでも5月2日のニュースを見たときはさすがに絶句した。9日の青山ロックンロール・ショーは行こうか迷った末諸事情により自制した。

その程度のファンではあるが、フジ2日目の追悼ステージに対しては「ファン」の部分で期待し、「その程度」の部分でどこか遠慮があった。なのでトップバッター泉谷しげるの「シュー」は、近くの簡易トイレで大便しながら聴いていた。UAの「スローバラード」には鳥肌立たせられたけど、その後はグリーンステージを離れて屋台でメシを食ってた。




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言わずもがなのド定番
(塩コショウ&タレ)







最後に「雨上がりの夜空に」を合唱するのはわかっていたけど、どうもその、追悼イベントに漂ってしまう中途半端な嘘臭さに耐えられなかった。

べつに嘘臭いのは構わない。むしろ良いこと。だから、やるなら徹底的に嘘臭くやって欲しかった。それこそフレディ・マーキュリーの追悼ライブぐらい派手に。嘘臭さに対して自覚的でなければ、ロックとしてのシニカルさも何もなくて本当にただの茶番になってしまう(そういう意味で正しかったのは、セクシー姉ちゃんをステージで踊らせてたCharだけだったかもしれない)

最終日の大トリでもなければ土曜のトリですらなく、1時間強のステージ。あの忌野清志郎の追悼ライブが、あの程度。たしかに集まったアーティストは錚々たる顔ぶれ。でも、忌野清志郎が日本のロックとフジロックに果たしてきた役割の大きさに照らしてみれば、どう考えても足りない。当然大人の事情はあったのだろうと推測し理解はするが、オアシス、フランツ、ウィーザーを差し置いて大トリにするぐらいの気合いは見せて欲しかった。フジロック、日高社長ならそれがやれたはず。それをやるのがロックでは?だからもう要するにこのステージのことを一言でまとめると、
観ても観なくてもどっちでも良かったです以上。








PUBLIC ENEMY
7月の疲れが溜まりに溜まっていたということはあるが、こういうのはなかなか難しいものがあるなと思った。どんなにつまらなくても、いったんきちんと観ようと思ったライブは最後まで見届ける主義というか貧乏性な私が、ステージの半分強くらいで退散したのだから。

以前、ビースティーボーイズのライブが退屈と書いたことがあったけど、何のことはない、私が彼らがラップで何言っているのか全くわからなかっただけの話。普段、歌詞とか全く気にせず音楽を聴くけど、ことラップに関しては、言葉の壁がかなり高く感じられる。なんでだろう?CDはいくらでも聴けるのに。パブリックエネミーのスタイルが2009年に聴くには古すぎて退屈だった可能性も否定できないが、客観的にはカッコ良かったはずである。






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しかし、私が本当は退屈なのに、彼らがヒップホップ界だけでなくロック界においても生きる伝説であるという、頭でっかちの知識で無理に評価しようとしてしまったかもしれない。もう少し若くて体力もあれば、無理矢理納得できただろうけど、もう体が言うことを聞かなかった。1人で先に駐車場に戻ってたら、N君とD君に揃って年取ったなあと言われたけどまあ、全くその通りだなあと。












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2日目はこれにて退散ですの図





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まだなんとなくじんわり暑いですねウシですこんばんわ。












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てことで観てきました噂のサマーウォーズ。













あの「時かけ」の監督作品ということもあってか前評判が高く、上映後も新宿のどこの金券ショップに行っても前売り券がない状態(配給規模があまり大きくなかった?)でかなり期待が高まっていたが、裏切られなかった。もしかしたらCGが綺麗なだけのペラペラな映画かもしれないと思っていたが、全然違った。少々大げさに言えば、映画館で観るべき映画を久しぶりに観た気がした。



アニメを普段観る人もそうでない人も、



ネットの知識がある人もそうでない人も、



花札を知ってる人もそうでない人も、



年齢性別問わず楽しめる。エヴァ破も相当間口が広がったけど、こっちのほうが人に勧めやすい。笑いあり涙ありの手に汗握るストーリー展開というありきたりにして非常に大事な、やるべきことをしっかりやっているエンターテイメント作品

ピンチになって、何をすればいいのかわからない。でもあきらめない。とりあえず何かをする。どこに行くかは重要ではなく、とにかくあきらめないことが大事という、アニメが表現すべきことをしっかり表現している。冷静になればハッピーエンドになることはわかりきっているが、そこへの持って行き方が素晴らしいので、冷静にさせてくれない。ていうか熱い。ロッキーほどではないけど、それに準じる熱さかも。



このサマーウォーズが超ドタバタながらもしっかりとした作品に仕上がったのは、タテの関係、つまり家族の描写に力を注いだことが大きかったのではないかと思う。最後に全世界のアバターが連帯する様子(ネット上のヨコのつながり)は、あれだけならハイハイすごい映像ですね程度で終わるけど、栄婆さんと、その下に団結する夏希の家族(タテのつながり)の描写により、迫力が増したように思う。ヨコのつながりが感動的なのは、あくまでタテがしっかりしてのこと。栄婆さんが知り合い1人1人に電話をかけて、「あなたならできる」と繰り返し励ます様子が、非常に印象的だった。ていうか私もあんな婆さんが欲しかった。



もうすぐ2010年になろうとする現在、アニメに限らず、少なくとも表現に迫力、リアリティを込めたければ、家族との関係の描写に力を注ぐのが絶対条件になりつつあると思う。おそらく、そこから逃げた表現は薄っぺらいものとして見向きもされなくなるだろう。そしてそれは、私がロックという音楽ジャンルに飽き飽きしている原因に通じるのではないかと思えてきた。たぶん意外といい線突いていると思うので、後々掘り下げてみます。






というわけでまとめると、



とりあえずサマーウォーズは観といて間違いないから。


迷ったら観るべし。興味があるなら、忙しくても観に行く価値はある。


実際私はありました。








少しだけ寛容な心でイメージしてみて欲しいのですが、


少年がロボットに乗って戦争をするって異常

ですよね。言うまでもない当然の話で申し訳ないですけど、従来のロボットアニメは、それを子供の憧れとして位置づけていたわけで。平和を守るためという大義名分、美名、ていうかそもそもアニメだし、という乱暴な理由で、その異常な価値観が正当化されてきた(そこに最初にメスを入れたのが富野ガンダムだったが、ニュータイプ概念もまた同様に乱暴な正当化理論であって、結果アムロとシャアにカリスマ性を与えただけだった。)。




その乱暴な理由を否定して、原則論に戻したのが10年前のエヴァンゲリオンだった。主人公碇シンジは、ひたすら自分がエヴァに乗る理由を通じて自分の存在価値を最後まで自問自答し続けた。良く言えば丁寧であり、誠実だったが、悪く言えばうざったく、暑苦しかった。だから、この時点で受け付けず脱落する人もかなりいた。





ここを我慢して観たとしても、庵野監督は、最後に明確な答えを提示できなかった。ストーリーの整合性を放棄してまで一応の答えを出したのだが、それがうまく伝わらなかった(私はテレビ版の25、26話で綺麗に完結したと思ってたけどその辺の解釈は省略)。しかし、当時90年代というのは、世界レベルでも社会レベルでも個人レベルでも正解がないことを気づかされた時代だったのだから、一応の答えしか出せないしそれがうまく伝わらないのもやむを得なかったと今では思う。なんせ、正解がないのだから正解を根拠付ける理由も証拠もない。



90年代は、バブルの崩壊に始まって14歳による凶悪犯罪や宗教団体によるテロ等々、価値観の多様化と崩壊が同時進行し始めた時代だった。簡単に言うと、例えば「人を殺して何が悪い?」という14歳の問いに対して、社会や大人が、明確な答えを提示できないことに気づいたのである。法律で禁じられているからとか形式的な答えではなくて、哲学的な答えを用意できなかった。私たちが恐怖したのは、それら具体的な事件の残忍さというより、事件の奥に潜む問題点(正解のなさ)ではなかっただろうか。自分や周りの人間が人殺しをする理由がなければ、しない理由もない。なんと怖い話。

今はそんな屁理屈にかまっている場合じゃないのでとりあえず現状をやりすごしているが、90年代はそういうふわふわした時代だった。その時代の空気を、あらゆる表現ジャンルの中で唯一真面目にすくい取り切り込んでいったのがエヴァだった。エヴァが当時の社会現象にまでなった原因は、そこにあるとしか思えないです。


なので以上を一言で言うと、


10年前のエヴァの特徴は


正解のなさと向き合ったこと。


ではないかと。

その正解のなさに耐えられない人は、エヴァをヒステリックに叩くか、逆に自分に都合の良い解釈を込めたり、あるいは歪めてアナザーストーリーに自ら引き篭もったりした。

幸い、私は正解のなさに耐えられたというか元々いい加減な性分なので、あまりエヴァの迷路にハマッた感じではない(・・・つもり)。どちらかというと、エヴァの内容以上にエヴァに対する人々の反応を見るのを楽しんでいた。25話26話がクソだとか叩いてる人を見ては、影で嘲笑うみたいな心根の腐りきった人間。こんな私に比べて、庵野監督は非常に真面目に、愚直に、正解のなさに耐えられない人と正面から向き合った。その結果がテレビ版の後の2本の映画であり、最後のアスカのセリフだった。

エヴァはオタク批判であると言われるしその通りだけど、それもオタクと向き合ってこそ。ホントに嫌いなら相手にしないか、私みたいにニヤニヤ笑ってるだけでしょ。まあもしかしたら、個人的なレベルで自分自身と向き合ってただけなのに、たまたま普遍性を獲得してしまっただけなのかもしれないけれど。



とにかく死海文書だとか聖書とか人類補完計画とかねえ・・・そんなのはどーだってよかったんですよ。意味ありげに語って正解を語るフリをした庵野監督にも否はあるかもしれませんが、それらの投げっぱなしの伏線は監督の照れ隠しというか、要は先に述べたとおり、エヴァという作品は単にシンジがエヴァに乗る理由、自分の存在意義を自問自答するためだけのお話であって、それ以外はオマケのファンサービスだったんです。ミサト姐さんが毎回予告で「次回もサービスサービスゥ」って言ってたのはそーゆーことなんです(もちろん嘘)


ということで、次回は10年後にエヴァを作り直す理由についてです(すでに前フリが効きまくってる気もするけど)




 

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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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