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~語るべきことなど何もないのに~
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参考記事





だそうです。






歌詞の前にその記事を読んだ私は,








復帰作でいきなりかましてくれたな!













ともちろん良い意味で盛り上がったのですが,その歌詞をみてみると,








うたまっぷ


















普通ですかね?














まずそもそも。




記事内で「売れてない」と書かれているのも,初動で前のシングル「I AM YOUR SINGER」に負けただけであって,つまりは「当社比」的な意味にすぎない。







それでも「当社比」的にみて売れていないのは,「ピースとハイライト」が政治色が強いせいではなくて,ただ単に当たり障りのない普通のポップスだからだろう。







と冷静な私はそう思った。










韓国と日本,あるいは親韓派と嫌韓派のどちらをディスってるわけでもなく,「冷静にお互いのいいところを見つけ合おうよ」と。

平和を願うミュージシャンの立場から,言うべきことを言っている(ちゃんと時代の空気吸ってますよね。)







私も政治的な面で韓国に対して決していい感情は持ってはいないが,


もしミュージシャンだったなら,今はこういう歌を歌うべきであると思う。

そもそも平和を願わないミュージシャンってのはミュージシャンとはいえないんですよ。

これ,私の意見じゃなくて通説,定説ですから。











(やや無理だけど勝手に)桑田になったつもりで想像してみよう。





あのクラスになると,過去のシングルに比べて売れ行きが弱いことなんて些事ではないか?



売ろうと思えばいつでも売れる曲を作れる。

それこそ評論家気取りの馬鹿が言うワンパターンなやり方でね。




それを評論家気取りの馬鹿はまさに馬鹿なもんだから,「政治色が強くて売れませんでした」「復帰作がこれでは心配です」なんてトンチンカンなことを恥ずかしげもなく書いちゃう。







歌詞をみれば,桑田は自分の考え方は理想論にすぎないのか?と葛藤も見せているのに,「政治色が強い」って(笑)。

まあ,文盲なんだろうなあ。


だとしたら,文盲の人に対して「(笑)」とかつけたら差別になっちゃうのかな?と私も葛藤を見せてみたり。







なんてわかりにくい冗談はさておき。





「ピースとハイライト」はそんなにわかりにくい,誤解を産みやすい歌詞とは思えないのですがね。




まあ,政治色を「強い」と感じるか否かは人それぞれってことで。














「桑田は愛とかエロについて曲を出せばいいんだ」って言う人もいますね。むしろ多いかもしれない。







ここでもう一つ誤解を解いておくと,桑田圭祐は昔からもともと政治色が強いシンガーなんです。



音楽業界やPTAやミュージシャンN渕やその他世の良識ある(と自分で勘違いしている)多数派の神経を逆なでする歌詞をずっと書いてきた。





例えば,「マンPのGスポット」はただエロを描くことが目的だったのではなく,その馬鹿騒ぎを見て眉をしかめる人たちに向けたロックナンバーだった。






敵がなんであれ,気に食わない奴の神経を逆なでするのがロックなのであって,そういう意味で桑田は昔からロックだった。全くブレてない。





愛と平和を歌うためなら馬鹿の神経を逆なですることも厭わない。






それが桑田圭祐の本質であると断言しよう。





今回の「ピースとハイライト」が嫌韓派の神経を逆なでしたのも,ロックの文脈で理解していいかもしれない。



個人的にはそれほど過激なロックではなく,とにかく優しいポップスとしか思えなかった(だから買わなかった)のだけど。









なんにせよ,癌を患っても桑田は相変わらず桑田だった。それを証明した曲だと思います。



生きているうちに一度はライブを観に行きたいなあ。









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最近、遅ればせながら「モテキ」を読んだ。





話題になった当時も「音楽好きならハマるはず」と複数の方面から勧められていたが、

それが悔しくて読めないでいた私こそまさに「適格者」だったと言っていい。










ここまで来る道のりは遠かった。






いい歳した大人が



カタカナで「モテキ」などと書かれた流行のマンガを




公共の場である書店において





その手に取ってレジに持っていくや否や




さも何事もなかったかのように購入しようなどという、




まさに下衆の極み。









これが私の第一の壁だった。






しかし最近、遊びに行った友人の家にたまたま置いてあった。



「それじゃあ、しょうがないか」( ´・∀・`)



あっさり和解。










そして、

「なんだかんだ言って本当は興味あったでしょ?」




というもう1人の自分からのツッコミ。これが第二の壁。











もはや否定できないので、とりあえず所有者に「宮本から君へ」と「ザ・ワールド・イズ・マイン」を貸すこととし、その交換として「モテキ」、それに「おやすみプンプン」も借りましょうか?君がそこまで言うのなら?みたいな。








こんな面倒くさい手続きを踏まえ、ようやくたどり着いた。何やってんだ俺は。












4巻をとりあえず2日でザーッとひと回し読んだ。








たったそれだけを2日かけて?と思うだろうが、







「ここは俺と違ーう!」




「ここはリアリティがなーい!」




「ここは羨ましくなーい!」







漫画ごときに自分の真ん中を撃ち抜かれたくないという、往生際の悪いもう1人の自分をぶん殴りながら読むのは非常に手間のかかる作業だった。









ていうくらい、フジは私だった。










と思った。






フジは私で私はフジで~ってもういいか。







2週目はじっくり落ち着いて読んだ。

たしかに私は土井亜紀のような女性を理想に掲げた時期があった。しかし今はどうでもいい。イツカちゃんでもナツキでもなんでもいいし、どれでもダメになったと思う。



たぶん私はもう、フジから墨田的なポジションへシフトしているのだろう。





見栄でもなんでもなく、ごくごくフラットな気持ちでそう言えてしまう。そこが自分でも残念である。



「モテキ」に出会うのは10年遅かった。








フジと10年前の自分と比較して決定的に違うのは、恋愛をすることで「自分を変えたい」という発想がなかったことだろうか。

そこが今でもピンとこない部分だが、しいていえば恋愛より先に自分を変えるものだと思っていた。










しかし最後にフジが苗場に言って土井に気持ちを伝えたのは、そういう面倒なことを考えなくなったから、という主旨だったのなら異論はないわけだけど。





よくわからない。私には詰めが甘いように見えるが、だがそこがいいのだと思う。



作者が実は女性だから鋭い女性目線によって立体的になった、ということもあるだろう。

けど私にとって「モテキ」の最大の魅力は、最後の最後、奥の奥の部分は作者自身のパッションがぶちまけられている感じ。

それはあたかも若いロックバンドがドアを蹴破って殴り込んできたような痛快さであって、この痛快さこそが最近のロックバンドに決定的に欠けている、という話は今まで散々書いてきた。







もう仕方がないのだろう。

ロックについてなのか自分についてなのかわからないが徐々に腹を括り始めている私にとって、「モテキ」はなかなか眩しく映ったのでありました。












次回は(たぶん)「修羅の門」について。



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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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