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~語るべきことなど何もないのに~
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夏前に、テレビで吾郎のデビュー作「ゲド戦記」を少しだけ観た。全部観ようと思っていたけど、途中で面倒くさくなった。




その後に放送された駿の代表作「もののけ姫」を観て改めて、両者の格の違いが比較しようのないものだと実感できた。




アシタカの放った矢1本から溢れ出る生命力だけで、メシ3杯はイケる。






とはいうものの、私は「ゲド戦記」をただの親の七光りだけの作品とは思っていない。





前に他の場所でも書いたかもしれないが、「ゲド戦記」は、主人公アレン(宮崎吾郎)が国王である父(宮崎駿)から剣(スタジオジブリ)を奪って父を殺すところから話が始まる。
そして、宮崎家に生まれた自分の影に怯えつつも、その影をハイタカ(鈴木敏夫P)助言の下なんとか振り払い、最後は美しきモノ(テルー)を守るために、剣を使って醜いモノ(クモ)を駆逐していくと宣言した。

ただそれだけの作品であるが、そんなことで映画1個作っちまったよっていう意味ですごい作品でもある。





「ゲド戦記」の原作は非常にスケールの大きな話なのに、なんだこのスケールの小ささは、という批判はごもっともなのでしょう。



ただ、父の作品に多大な影響を与えた作品を素材に、しかもわざわざ原作にない父親殺しのシーンを追加した、というだけでなかなか胸が熱くならないだろうか。



たぶん、ここが信者か否かの分水嶺になるように思う。





駿は怒っていたというが、おそらく自分以外の人間だったら誰が作っても怒っていただろう。

そもそもいつも怒っている。というか、鈴木Pに上手い具合に怒らされている。




「ハウル~」で弱まっていた表現者としての炎が、「ゲド戦記」をきっかけに再び燃え上がって「崖の上のポニョ」という快作につながった。それは鈴木Pの功績である、というのが私の考え。








宮崎駿は映画監督として名選手であるが、映画監督を育てる意味では名監督ではない。


自分基準でどんどんダメ出しして終いには自分の手で全部やってしまうので、才能ある若手が伸びなかったとか。








しかしそれではイカンということで最近のジブリは若手の育成が重要なテーマになっているんだとか。




その表れとして出たのが、米林の「アリエッティ」と吾郎の「コクリコ坂」。






両作品に対しては、父のと比べてどうというより、若手が育っているかどうかという目線で見ていくのが正しい楽しみ方であると思う。






米林監督は、駿の言う事をハイハイと素直に聞く(あるいは上手に受け流せる)タイプの人物らしい。


たしかに「アリエッティ」はそういう人間が作ったような、空気を感じさせる作品ではあった。


米林のオリジナリティというか、それ以前に彼のパーソナリティがどこにあるのかが素人目に見てほとんどわからない。



吾郎の父親殺しのネタに比べて、ヒリヒリするものがない。




まあでも、ジブリを受け継いでやろうって若手がいなくて監督やらされたんだとしたら、第1作目はあれでもしょうがないかなとも思う。






で、吾郎の2作目はどうなの?と。それはタイトルどおり満足できたわけですが、もう2時過ぎたので本題はまた次回ということで。













ちなみに、今期本命は「ちはやふる」。
あとは、「ガンダムAGE」がキモヲタの神経をどれだけ逆撫でできるかが見もの。
ヒマがあれば「未来日記」あたりもいいかもしれません。

















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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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