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~語るべきことなど何もないのに~
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先日,(微妙な表現になるが)仕事上の部下に当たる人と昼飯を食べていたときの話。


元々大声な人なのだが,そのときも集団的自衛権について話を始めて困ってしまった。
なんとか隣にあまり聞こえない方向で収めたいなあ,と思っていたら,それを見透かされたのか,




「意見違ってもいいから議論をしたほうが世の中がいい方向に行くと思うんですよねえ。」





みたいなことを言い出した。

集団的自衛権云々なんてどっちでもよかったが,

「議論をすれば世の中が良い方向に行く」というのは,なかなかの思い違いだと思った。

しかしそれを論破する言葉も気力もなく,さっさと飯が食いたかったので適当に受け流した。






簡単に言ってしまえば,

良い意見を持ったAさんとそうでもない意見を持ったBさんが議論をすれば,



1.Aさんの意見がBさんにも共有される。


2.AプラスBを二分の一にした意見ができあがる。


3.AさんとBさんの意見がそのまま残る。



3の場合,両者ともにお互いの意見を尊重するか,

それとも分かり合うこともなく分裂する。




1や3によって,新しい意見が生まれることはない。

2が新しい意見であるとして,その妥協案が果たして今よりも「より良い」方向を指し示すといえるのか。







議論のメリットはせいぜい,AさんがBさんも説得できるような言葉を駆使しなければならない,と気づくきっかけになるにすぎない。


ノーベル物理学賞を獲るというなら話は別かもしれないが,思想だの哲学だの空想の分野ではまあ,意味がない。


思想の自由市場とかそういうキレイごとは,隣国のデモの中でこそ主張すべきであろう。






議論好きな人というのは大抵,議論ができる自分に酔っているだけの人が多い。



集団的自衛権をイエス・ノー主張する「動機」がちゃんとしているなら是非聞いてみたいと思うが,単なる自己満足だってんならガールズバーで語るかもしくはこうやってブログでも書いて(笑



自分のチャンネルにはまってくる意見でなければ反応すらせず,自分が言いたいことを言うだけ,というのではまるで最近新聞を読み始めた高校生。


実際,私はその人をそういう目で見ているので,あえて昼飯休憩を割いて議論をする気にはなれなかった。










とまあ,ここまで書いといてなんですが,議論は大事だと思いますよ。

でも,議論をしない人がダメだ,議論をしようとしない日本人の風潮がダメだ,というのは成り立たない。




言葉で説明することができる,合理的なものだけに美や善があって,


言葉で説明することが難しい,不合理なものにはそれらがない。




と思い込んでいる人が多いように思うが,実際はむしろ逆ではないか?


確信ではないけど。




最近,こうやってブログで論理的な文章を書けなくなる,書こうとすら思わなくなってきているのは,私がだんだん,言葉で説明できない,不合理なものに魅力を感じてきているからではないかと思う。

歳を取るとはこういうことなのかもしれない。











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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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