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~語るべきことなど何もないのに~
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最近「冷やしおでん」や「冷やし天丼」など新しい冷やし料理が流行りつつあるという。



その件に関し,怒り新党でマツコが





「仕方なく冷めた料理はいいが,本来温かくして食べるものをあえてキンキンに冷やすことが許せない」


と言ったのに対し,女子アナが




「冷製カッペリーニはどうですか?そうめんとは何が違うのですか?」


と問うと,マツコは


「慣れなんだよ」

「我々は食に関しては保守的なんだ」


と開き直っていた。






女子アナ(20代の帰国子女)⇒論理的

マツコ(40代のオカマ)⇒非論理的



この図式がわかりやすく表れた場面なだけでなく,今の世界情勢にも通ずるものが感じられて興味深かった。



というのも,アメリカでのトランプ旋風にイギリスのEU離脱,はたまた世界各地で頻発するテロは,性急なグローバリズムの拡大に対する保守的な反動なのであって。

つまりこれらの反動は,経済を活性化させましょう,合理的に物事を考えましょう,人種性別の区別なく自由で平等な社会を目指しましょう,という論理的には全くもって正しい理屈を押し付けた結果生じた現象である。


論理性,合理性を絶対の正義と考える人間(たとえばホリエモン)は「自分たちが正しい」ということに疑いを持たないので,何か弊害が生じると「それは非論理性,不合理性に支配された人や社会が悪いのだ」という風に考える。それが彼らの論理,方程式である。






たしかに,「論理的=説得的」であると,私も思っていた。



しかし最近,両者は多く重なり合うものの必ずしもイコールではないと考えるようになった。







論理はあくまで説得力を得るための一手段にすぎない。

論理は手段,説得力は目的である。

どういうことか。






名古屋に,鉄板の上にトーストとバニラアイスを載せ,その上からアツアツのコーヒーをかけるスィーツを出す喫茶店がある。

それがテレビで紹介されたのを見た私の父は,即座にこう言い放った。





「コレはグチャグチャしていてもんじゃみたいだ」


「もんじゃはうまくない」


「だからコレもうまくない」







ネタとしてわかりやすく書いているように読めるかもしれないが,この発言の再現度は95%である。


この発言に説得される者は少ないだろうが,論理自体はつながっている。



まさに「お前がそう言うならそうなんだろう。お前の世界ではな」である。




そういう意味で私の父はド級の馬鹿だが,この三段論法を一瞬で構築した点についてはどう評価したものか,しばらく考え込んでしまった。



少なくとも私は,この件で論理と説得力が必ずしもイコールでないことを身をもって知ることができたのである。






どんな場面であれ人を説得する際は,論理的に説明する必要がある。


しかし論理だけで人は動かせない。一見動かせたとしても,後で何かしらのテロが起こる。


それはトランプだったりISだったり。あるいは子育てだったり。





論理的に正しいことを言うと,たいていの人は反論できなくなる。


暴力反対の世の中では,なおさら論理の攻撃力が際立つ。


なので弱い人ほど論理という武器の強さに溺れてしまう。






「だから何だ?」みたいになってきたので閉めると,「論理的=説得的」なのか?という疑問を頭の隅に置いておくと,気が楽になることがあるかもしれませんね,とただそれだけです。







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