忍者ブログ
~語るべきことなど何もないのに~
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。















宮迫・亮の記者会見をリアルタイムで見た。

誠意を持って論理的,ときに情熱的な説明が見事であり,他人事ながら心を揺さぶられる会見だった。追い詰められた人間の強さと弱さを同時に見せられ,気づいたら終わっていた。



色々考えさせられる事案だし,岡本社長の会見後もまだ収束してもいないようだが,ここで結局誰の何がダメだったのかを整理したい。






それは,宮迫がギャラを受け取っていない旨のウソを会社についたこと

・・・よりも,それを会社が鵜呑みにしてその通りに発表したこと。これに尽きる。


会社の不祥事を先んじて公表するという判断が非常に難しいのは想像できる。しかし,嘘であった場合,しかもそれを外部から暴露されてしまった場合,どのような事態になるか。いくら大物でもタレント個人には想像のキャパを超えている。だから会社の法務部か弁護士が,リスクについて宮迫らに十分に説明した上で,嘘がないかを徹底的に調べるべきだった。

まして週刊誌は,大物スキャンダルは,ターゲットが嘘をついたときのために必ず二の矢三の矢を投入してくる。そのためなら反社とも手をつないでやってくる。こういうことはベッキー騒動などを挙げるまでもなく,業界の人間なら当然に警戒すべきことだったはず。


まあ,宮迫の嘘を,本当に純粋に鵜呑みにしたのかというと必ずしもそうではないかもしれない。当初は入江のツテの闇営業だったと言われていたが,宮迫の会見によれば,吉本の人間も(非公式に?)パーティー会場にいた(だから信用した)とのことなので,会社と反社の関わり合いも疑われる可能性がある。それだけは絶対に回避したい思惑が働くことで,宮迫の嘘を軽信してしまった。ということなら合点がいく。


ただ,それでも相手は週刊誌&反社。逃げられるはずはない。


吉本の芸人(特に加藤)は,その後のパワハラ恫喝や,記者会見をさせずに引退又は解除を迫る対応を中心に噛みついている。それらもまあまあのインパクトだが,全体の流れでみると,初動ミスに誘発されたオマケにすぎないと思う。積年のうっぷんがあるのだろうが,オマケに目を奪われて会社に噛みつくのはどうなのだろうか。


きっかけはあくまでも宮迫。彼が会社を公式に通さずに直営業を行ったことであり,会社に嘘をついたことである。宮迫らもそのことは十分わかっているので,会社に対する抗議はしていない。そのスタンスを汲むことなく,所属タレントが衝動的に動くのは,大人がやることではないと思う。




まあでも,吉本のタレントさん。人間味のある人が多いんだなと思いますね。ええ。






PR














7,8年前に京都旅行に行った際,京アニのスタジオ?の売店で「アニメーターの心得」みたいな本を買ったことがある。今回と同じ場所ではなかったが,随分と田舎だなあと感じたのを記憶している。



それがまあ,例によってまたかと呆れてしまう。


私は登戸駅の「あの現場」が見える場所を通って,毎朝電車で通勤している。

事件とは何の接点もないが,それでも被害者への哀悼の念と加害者への怒りは心の片隅に置くように心がけており,カリタスの看板を見たときは必ず思い出す。



あのとき,加害者が引きこもりだったという属性を抽出し,引きこもりを叩く人が出る前から「引きこもりだからといって犯罪者予備軍という偏見で見てはならない。統計的にそうなっている」と予防的に擁護した上で,登戸の件は動機の解明が必要で?今後は引きこもり状態にある人に手を差し伸べるシステムを「社会が」考えていかねばならないみたいな意見が蔓延していたように思う。そして今回も似たようなコメントが垂れ流されていた。


今回の犯人から,仮に「動機」がなにかわかったところで,誰も納得できるものではないだろう。むしろ「そんなくだらないことで命を奪ったのか」と遺族にさらにショックを与えかねない。「動機」の解明なんていうのは現場のプロが内々にやればよいことである。

まして「社会が救いの手を差し伸べる」とか。一見温かみのある建設的意見に見えるが,とどのつまりは「自分はやらないけど社会の誰かが頑張ってね」と言っているだけである。



端的に個人が大量のガソリンを簡単に買えないようにすればよい。シンプルにそう思う。

チャッカマンで火を点けるだけで30人以上を簡単に殺せるようなものを,簡単に買えること自体おかしい。不便になるとの声も聞かれるが,ならばどうぞそのことを遺族の前でも主張して見て欲しい。

カリタスの場合だって,屈強なボディーガードを雇うべきだった。それってそんなに無理な話なんですかね?



登戸と京都では犯行に至った経緯が異なるので,犯罪者予備軍と一括りにしてはならない。しかし,動機という無限のパターンの1つ1つを科学的に解明しようと無駄な努力をするよりは,結果から逆算していかに被害を防ぐかを正面から考えたほうが合理的である。ちょっとコストがかかるというだけで結局何もせず,他人任せのまま動機について空想していても,また同じような事件が繰り返されると思う。本当に怖い世の中になってきたよ。








川崎・男児投げ落とし事件
https://matome.naver.jp/odai/2140488260514087701

川崎中一殺人事件
https://matome.naver.jp/odai/2142527930984013501

川崎簡易宿泊所火災
https://matome.naver.jp/odai/2143191147900485801

川崎老人ホーム連続殺人事件
https://matomedane.jp/page/5717


そして先週の川崎登戸殺傷事件。

私は登戸に住んで15年ほどになるが,ここ最近,川崎では毎年のように世間を大きく騒がせる事件が起こっている。

というか,上の事件はいずれも,正確には「川崎市の多摩川の近く」である。
川崎市の形と多摩川との位置関係からして当たり前かもしれないが,それを考慮してもなお近い。偶然であるにせよ,そういうことがたまにあってもおかしくはない地域だなあと感じる。にもかかわらず,付近住民のセキュリティ意識は決して高くないようにみえるのだが,気のせいだろうか。



今回の事件以降,犯人の家庭環境に焦点を当てた報道が目に付く。「引きこもりだった」とは言わず,「引きこもり状態にあった」という言葉使いをしているのは,引きこもりの人イコール犯罪予備軍であるかのようなレッテル貼りをしないためである。それでも,引きこもりという属性に絡めた報道自体がレッテル貼りを助長するから,その言葉を使うことも避けるべきとの論調すらある。

そして,立川志らくが「1人で死ね」とコメントすると,「そういう境遇にある人」を刺激して新たな犯罪が生まれる可能性があるから控えるべきだとか言われる。

こう書くと,上2つの段落は実質的に矛盾していないだろうか。



引きこもりの人=そういう境遇にある人

そういう境遇にある人=刺激すると新たな犯罪に走る可能性がある

⇒引きこもりの人を刺激すると新たな犯罪に走る可能性がある,となるはず。

引きこもりという属性だけでレッテル貼りできないと言っておきながら,他方では言葉を換えて思い切りレッテル貼りをしている。まさにエセヒューマニストによるマッチポンプ商法。



今回の件は,引きこもりの人が,引きこもりであったことが原因で犯罪に走ったのではない。


幼少期に両親が離婚し,叔父叔母の家で差別的に育てられた人が,それらが原因で他人と上手に交流できなくなり,引きこもった。そしてなんらかの事情がきっかけで犯罪に走ったということだろう。当たり前である。


どこそこの自治体で引きこもりの人たちにヘルパーの職を紹介して更生させたみたいな実例を引き合いに,「引きこもりの人に対してレッテル貼りをするのではなく,社会が手を差し伸べるような仕組みが必要だ」とか言う人がいた。はたして,今回の件でも,川崎市が「社会」として手を差し伸べる余地はあったのだろうか。


そういう犯罪予防的なアプローチが全く間違っているとは言わないが,千差万別の事象に対してどのように具体的施策をとるべきか判断することは非常に難しく,現実的とは思えない。端的に,暴漢から子供たちを確実に守るためにはどうするべきかを考えたほうがよい。


大人がナイフを振り回したら素人は簡単に防げない。だから,原則的には,逃げられる状況にあって,逃げることが可能であれば,逃げればよい。しかし目の前で子供が襲われそうになったらどうする。自分の子供なら?他人の子供だったら?私は差し違え覚悟で突撃したい。それで子どもを守れたらそんな最高な事はない。

いざというときのためにシミュレーションをしたい気もするが,逆に犯罪予備軍とレッテル貼りをされるかもしれない(笑)。一体どうすればいいのだろう?



カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
ウシ-rebirth-
性別:
非公開
自己紹介:
絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]