~語るべきことなど何もないのに~
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川崎・男児投げ落とし事件
https://matome.naver.jp/odai/2140488260514087701
川崎中一殺人事件
https://matome.naver.jp/odai/2142527930984013501
川崎簡易宿泊所火災
https://matome.naver.jp/odai/2143191147900485801
川崎老人ホーム連続殺人事件
https://matomedane.jp/page/5717
そして先週の川崎登戸殺傷事件。
私は登戸に住んで15年ほどになるが,ここ最近,川崎では毎年のように世間を大きく騒がせる事件が起こっている。
というか,上の事件はいずれも,正確には「川崎市の多摩川の近く」である。
川崎市の形と多摩川との位置関係からして当たり前かもしれないが,それを考慮してもなお近い。偶然であるにせよ,そういうことがたまにあってもおかしくはない地域だなあと感じる。にもかかわらず,付近住民のセキュリティ意識は決して高くないようにみえるのだが,気のせいだろうか。
今回の事件以降,犯人の家庭環境に焦点を当てた報道が目に付く。「引きこもりだった」とは言わず,「引きこもり状態にあった」という言葉使いをしているのは,引きこもりの人イコール犯罪予備軍であるかのようなレッテル貼りをしないためである。それでも,引きこもりという属性に絡めた報道自体がレッテル貼りを助長するから,その言葉を使うことも避けるべきとの論調すらある。
そして,立川志らくが「1人で死ね」とコメントすると,「そういう境遇にある人」を刺激して新たな犯罪が生まれる可能性があるから控えるべきだとか言われる。
こう書くと,上2つの段落は実質的に矛盾していないだろうか。
引きこもりの人=そういう境遇にある人
そういう境遇にある人=刺激すると新たな犯罪に走る可能性がある
⇒引きこもりの人を刺激すると新たな犯罪に走る可能性がある,となるはず。
引きこもりという属性だけでレッテル貼りできないと言っておきながら,他方では言葉を換えて思い切りレッテル貼りをしている。まさにエセヒューマニストによるマッチポンプ商法。
今回の件は,引きこもりの人が,引きこもりであったことが原因で犯罪に走ったのではない。
幼少期に両親が離婚し,叔父叔母の家で差別的に育てられた人が,それらが原因で他人と上手に交流できなくなり,引きこもった。そしてなんらかの事情がきっかけで犯罪に走ったということだろう。当たり前である。
どこそこの自治体で引きこもりの人たちにヘルパーの職を紹介して更生させたみたいな実例を引き合いに,「引きこもりの人に対してレッテル貼りをするのではなく,社会が手を差し伸べるような仕組みが必要だ」とか言う人がいた。はたして,今回の件でも,川崎市が「社会」として手を差し伸べる余地はあったのだろうか。
そういう犯罪予防的なアプローチが全く間違っているとは言わないが,千差万別の事象に対してどのように具体的施策をとるべきか判断することは非常に難しく,現実的とは思えない。端的に,暴漢から子供たちを確実に守るためにはどうするべきかを考えたほうがよい。
大人がナイフを振り回したら素人は簡単に防げない。だから,原則的には,逃げられる状況にあって,逃げることが可能であれば,逃げればよい。しかし目の前で子供が襲われそうになったらどうする。自分の子供なら?他人の子供だったら?私は差し違え覚悟で突撃したい。それで子どもを守れたらそんな最高な事はない。
いざというときのためにシミュレーションをしたい気もするが,逆に犯罪予備軍とレッテル貼りをされるかもしれない(笑)。一体どうすればいいのだろう?
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川崎中一殺人事件
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川崎簡易宿泊所火災
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川崎老人ホーム連続殺人事件
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そして先週の川崎登戸殺傷事件。
私は登戸に住んで15年ほどになるが,ここ最近,川崎では毎年のように世間を大きく騒がせる事件が起こっている。
というか,上の事件はいずれも,正確には「川崎市の多摩川の近く」である。
川崎市の形と多摩川との位置関係からして当たり前かもしれないが,それを考慮してもなお近い。偶然であるにせよ,そういうことがたまにあってもおかしくはない地域だなあと感じる。にもかかわらず,付近住民のセキュリティ意識は決して高くないようにみえるのだが,気のせいだろうか。
今回の事件以降,犯人の家庭環境に焦点を当てた報道が目に付く。「引きこもりだった」とは言わず,「引きこもり状態にあった」という言葉使いをしているのは,引きこもりの人イコール犯罪予備軍であるかのようなレッテル貼りをしないためである。それでも,引きこもりという属性に絡めた報道自体がレッテル貼りを助長するから,その言葉を使うことも避けるべきとの論調すらある。
そして,立川志らくが「1人で死ね」とコメントすると,「そういう境遇にある人」を刺激して新たな犯罪が生まれる可能性があるから控えるべきだとか言われる。
こう書くと,上2つの段落は実質的に矛盾していないだろうか。
引きこもりの人=そういう境遇にある人
そういう境遇にある人=刺激すると新たな犯罪に走る可能性がある
⇒引きこもりの人を刺激すると新たな犯罪に走る可能性がある,となるはず。
引きこもりという属性だけでレッテル貼りできないと言っておきながら,他方では言葉を換えて思い切りレッテル貼りをしている。まさにエセヒューマニストによるマッチポンプ商法。
今回の件は,引きこもりの人が,引きこもりであったことが原因で犯罪に走ったのではない。
幼少期に両親が離婚し,叔父叔母の家で差別的に育てられた人が,それらが原因で他人と上手に交流できなくなり,引きこもった。そしてなんらかの事情がきっかけで犯罪に走ったということだろう。当たり前である。
どこそこの自治体で引きこもりの人たちにヘルパーの職を紹介して更生させたみたいな実例を引き合いに,「引きこもりの人に対してレッテル貼りをするのではなく,社会が手を差し伸べるような仕組みが必要だ」とか言う人がいた。はたして,今回の件でも,川崎市が「社会」として手を差し伸べる余地はあったのだろうか。
そういう犯罪予防的なアプローチが全く間違っているとは言わないが,千差万別の事象に対してどのように具体的施策をとるべきか判断することは非常に難しく,現実的とは思えない。端的に,暴漢から子供たちを確実に守るためにはどうするべきかを考えたほうがよい。
大人がナイフを振り回したら素人は簡単に防げない。だから,原則的には,逃げられる状況にあって,逃げることが可能であれば,逃げればよい。しかし目の前で子供が襲われそうになったらどうする。自分の子供なら?他人の子供だったら?私は差し違え覚悟で突撃したい。それで子どもを守れたらそんな最高な事はない。
いざというときのためにシミュレーションをしたい気もするが,逆に犯罪予備軍とレッテル貼りをされるかもしれない(笑)。一体どうすればいいのだろう?
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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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