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世界(あなた)に向けて永遠に続くラヴ・ソング?あなた(世界)に向けて悠久に続くラスト・ジーク? 俺なんて死んだほうがマシなのか?俺なんて生まれてこなかった方が良かったのか?オーケー、トム。レビューだ。自己嫌悪の権化――レディオヘッド。
僕はこのアルバムの歌詞をすべて書き出してしまいたい。そんな衝動をおさえるので精一杯だ。 この2ndシングル“クリープ”は、ザ・ラーズの“ゼア・シー・ゴーズ”を聴いた時以来の衝撃だった。
そこで音が鳴ったとき、確かに世界はその色彩を変えた。高らかに咲き誇った。僕は悲鳴を上げた。世界は自分自身を苛み続ける憎悪の対象としてではなく、天使の羽を持つ限りなく美しいものとしてある。
連中は誰もロックがするように「世界は醜悪だ」と言い切ってしまうことによって獲得できるはずの“強さ”を敢えて拒んだ。 そして「世界は輝いている」と信じることによって否応なくもたらされる困難さを選び取った。 自己正当化を促すエクスキューズをすべて断ち切り、慰めをすべて拒否したところから始めるためだけに存在する果てしなく深い自己嫌悪の海。
だが、その奥深く沈み込むことは、登るべき峰や越えるべき海の険しさに思わず感謝してしまえるほどの揺るがない自信を生む。自分自身の惨めったらしさは袋小路などではなく、あくまで前提としてある。海底から見上げた陽の光は確かにある――そんな確信を手に入れる。手を触れた途端、 そのすべてが石に変わり果てたとしても?ははは、歌うことを止めはしないだろうね。
・・・・・・・・・・・・・・だって、ついさっきまで世界は輝いていたんだから。そうだろ?ワールド。
↑は、今月号をもって休刊となった音楽雑誌「SNOOZER」編集長田中宗一郎氏が、「rockin'on」在籍時に書いたレディオヘッドのアルバムレビュー(2ちゃんから全文コピペ引用)。
もう約20年前のことだが、確かに読んだ記憶がある。今読むとある意味すごいけど、私がrockin'onを熱心に購読していた当時(増井修編集長時代)のrockin'onはもっと頭のオカシイ人たちばかりだったので、彼のレビューがそんなに飛び抜けて変だという印象はなかった。しかしこうして振り返ってみると、当時のrockin'onを良くも悪くも象徴するレビューにも思える。「歌詞を全部書き出してしまいたい」とかよくあったわ。本当懐かしい。
このときのrockin'onには、確か田中宏明と田中宗一郎のダブルタナカがいて、2人とも地味で区別がつかないのを自虐ネタにしていたような記憶がある。で、いつの間にかタナヒロは総務に飛ばされ、タナソウは退社してスヌーザーを創刊していた。いつのタイミングかは自信ないけど、たぶん増井さんがBuzzを作ってすぐにrockin'onを追い出された時期ぐらいだったような(そういや、増井さんはレディオヘッドを非常に嫌悪してたな・・・)。
まあ、それよりも当時は増井さんがrockin'onを抜けたことが非常にショックで、どこかで音楽雑誌を立ち上げてくれてるのではないかと毎日のように経堂駅前のキリン堂書店に通ったものだが、結局消息はわからずじまいだった。そんなかわいらしい時代が私にもあったんですがそれはいいとして。
スヌーザーは・・・と語れるほど知らないのだけど、とりあえず基本方針は
アンチrockin'on
レディオヘッド愛
の二本柱だったはず。だからrockin'onが大きくプッシュするものはけなすかスルー。rockin'onが大きくとりあげないものを大プッシュ。
たとえば再び2ちゃんからもってくると、
パッフュームの新作、聴きましたようぷぷぷぷぷぷ。悪くなかったんじゃないですかね?うぷぷぷぷぷぷ。
でも、もっとわくわくするものが、別に50枚ほどあるので、ちょっと余力ないです。ごめんなさいねぎゃははは!
なので、パフュームのことは、あまり音楽を聴かない雑誌の方々にお任せしようと思います。
ていうか、向こうも別にスヌーザーのことは必要としてないと思うので。ははは。
万事めでたしめでたし、ということで。
ネットカフェ難民?ワーキングプア?切り捨てられる若者たち?あのさ、なんか皆、大騒ぎしてるけど、何か問題でもあるわけ?
だって、逆に言えば、それって、社会的な制約から自由ってことでしょ?60年代後半の若者たちが必死に求め続けて、手に入れることが出来なかったものを、21世紀に暮らすお前らは手にしたってことでしょ?最高じゃん? 何?それでもプアプア?難民なの?じゃあもういいよ死んで。死ねよ。
2つ目の記事は曽我部恵一のアルバム「キラキラ!」のレビューらしい。もはや肯定しているのやら否定しているのやら。
おそらく物凄く肯定しているんだろうけど、それにしても私にとっての神アーティストの神アルバムに、こんな文章を当ててくれてたとは・・・w
逆に何で俺リアルタイムでスヌーザーを買わなかったんだ?どうして俺に教えてくれなかったんだ?と歌いたくなるレベル。
タナソウが編集長以前に人として最低なことに争いはなく、話はそこから先にある。
彼がrockin'onで目立てなかった鬱憤をスヌーザーという離れ小島で爆発させている様子は、さながら彼自身が大嫌いであろうレディ・ガガのなり損ないに例えられるだろうか。あるいは、「タッチ」でいうと佐田商のエースとして再登場した吉田剛クンか。
大体今ちょっと最終号のぞいてみたけど、野田務と田中宗一郎の対談コーナーのタイトルを「のだなカンタービレ」とか寒いオヤジノリを発揮するような人が、「本物のユースカルチャー云々」などと語りだす様子はもはや致命傷。
まあ、一言で言ってしまえば立ち読みする価値もない雑誌だった。
そのスヌーザーが休刊することになって、まさか「さびしい」と感じようとは。
大衆迎合的、rockin'on的なものを激しく嫌悪する、スヌーザーはロックの基本に忠実だった。
最終号を買っただけだけど、微塵のイヤミもなくそう思う。
ロックだけでロックであることがほぼ不可能な時代において、rockin'onは大衆に迎合して何でもかんでも飲み込んでいって大きくなることで生き残り、体制側になることを引き受けた。
そのrockin'onを叩く武器は、必然的にロックに限られる。
スヌーザーはロックに縛られることにその存在意義を見出し、ロックと運命を共にした。スヌーザーをして「美しき敗北主義」との表現は、とても正しい。
でもそれを自分で言うなよと(笑)。
まあでも。
今までよくもったよな・・・。
今さらか?と思うけど、今だからという必然性も感じなくはない。
なんかオチをつけたいんだけどつけられない。やっぱなんかさびしいんだろうね。
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