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~語るべきことなど何もないのに~
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昨年末,高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を観た。

第一感を一言で言うと,



よくわかんねえ



だった。






(アニメーション作品としてすごい)ことくらいはわかったが,無教養な私は「竹取物語」のあらすじもよく知らないから,何を足したり変えたりしたのかがわからない。

「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーも私を混乱させた。正直今でもよくわからない。



何より気になったのは,なぜ2013年にこの話を映画にするのか,時代の流れの中での必然性がわからなかった。

実際,関係者のインタビューを読むに,構想も含めた制作期間が長い(なんせ故・地井武夫がクレジットされてて驚いたくらい)のは,高畑監督がなかなか動かなかったことが大きな原因だったらしい。それはおそらく,高畑監督自身も必然性を強く感じていなかったからではないかと勝手に推測する。





時代との兼ね合いを常に考え,答えを出してきた宮崎駿と対照的であるが,だからといって高畑勲が劣っているということでは全くない。






物語として日本最古といわれる「竹取物語」。



それが長い間語り継がれてきたのは時代に流されない普遍性の強さ故であるし,普遍性を描くことにかけては高畑勲の右に出る者はいないのであるから,両者のマッチング自体には必然性はあったと思う。



ただ,普遍性の強さ故にタイミングはいつでも良かった。だから長いことかかった。単にそれだけのことかもしれない。

しかし私は,時代の中での必然性の有無に目を奪われてしまい,「かぐや姫の物語」という映画の美しさがよく理解できないでいた。







ところが最近,ある漫画の最終巻をきっかけに理解できたような気がする。

その漫画とは,



「おやすみプンプン」


 by浅野いにお


なのです。




かぐや姫とうまくつなげられるかわかりませんが,続きます。

















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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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