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~語るべきことなど何もないのに~
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ずいぶん前に見たテレビで言ってたことだが,人は染色体か何かの関係で,

1.酒に強い人
2.普通の人
3.弱い人

とに分かれるらしい。


当たり前っちゃ当たり前なのでさらに言うと,日本人には1のタイプが外国に比べて少ないとのこと。




それもテレビに教えてもらわなくても薄々見当がつくかもしれないのでさらに言うと,

お酒に「強い」「弱い」はあっても,


「強くなる」とか「弱くなる」という話はないらしい。

(1の人はさておき)2や3の人が酒を毎日飲むうちにお酒に「強くなった」,あるいは最近飲まないから「弱くなった」ということはない。




つまり,こういうことである。

我々は,飲むと何かしらの細胞が破壊されて感覚が鈍くなってしまい,酔った感覚を得にくくなった状態を「強くなった」と呼び,逆に飲まないことで細胞が再生したことにより感覚が戻り,酔った感覚を得やすくなった状態を「弱くなった」と呼んでいたにすぎない。





だいぶ前に見たテレビに出てた一医師の一見解にすぎないのであまり真に受けないようにしてもらうとして,まあでも,お酒以外にも敷衍できそうな話だなあと当時思ったものである。







酒,たばこ,ドラッグに溺れる人を見て「弱い奴だなあ」と上から目線で見下してる人がいたとする。


その彼もゲームだのフーゾクだのインターネットだのと何かしらに溺れているのだとしたら,なんというか。


溺れることが×なわけではなく,自分も何かしらに依存していることに無自覚なところが×というかカッコ悪いというか。



「いや,俺が依存しているのはマラソンだから心は強いんだ」



なんて人もいるかもしれないが,それもどうだか。

いくら健康に気を使い心を鍛錬してるつもりでも,いざ人生の絶対的な絶望に直面すればわからない。








絶望を乗り越えるために人は宗教を発明したわけだけど,神のない時代に生きる我々は絶望とどう向き合ったらいいのか。




新興宗教で新しく神を作るのはオウムの件ですでにナシな方向になっている。あれはたしか1997年。

2000年以降,どうみても希望より絶望の割合が多くなってる世の中で,どう絶望と向き合うか。










1つは,徹底的に見て見ぬフリをすること。



あれこれ考えたってどうせ何もわからないんだから考えたって無駄無駄。

とりあえずお笑い番組でも見て笑って日々をやりすごしましょうよみたいな。


あるいは自分よりかわいそうな人のニュースを見ては怒ったり泣いたりしつつ内心,「自分じゃなくて良かった」っていう幸福。


以前はそういう人を下品だと軽蔑していたけど,最近はいつのまにか自分もそういうゾーンに片足突っ込んでいる。






しかしですよ。

他に,何か,もうちょっとマシなやり方はないのか?




そこで「おやすみプンプン」ですよ。





酒でもたばこでもなく,絶望に依存すればよいのである。



なるほど。




「おやすみプンプン」を読んで,絶望との向き合い方がわかりました。






・・・というのは嘘でございます。







1.絶望に強い人
2.普通の人
3.弱い人



とがいるとして,自分は2かなと希望的観測を持っているがさすがによくわからない。

軽い絶望を継続的に経験することで感覚を麻痺させるとかそんな計画的な人生を送れるわけもなく。


ただ,モノの見方を変えることで絶望を相対化することはできる気がする。






よくわからなくなってきたところでプンプンが向き合った絶望とは何なのかという本題に入りたいのですが,ちょっと,もう,疲れたので今日はこれまで。






てことでおやすみラヴァーズ。なんつて。






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