~語るべきことなど何もないのに~
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平成31年4月30日:退位礼正殿の儀
令和元年5月1日:即位後朝見の儀
自宅のテレビの前で起立しながら厳粛な気持ちで見ていた。両陛下のお言葉は,その内容もさることながら,日本語のすみずみまで誠実さが行き渡っており,非の打ちどころがなかった。
などと論評風なことを書くのは不敬に当たるが,陛下はきっと許してくださるだろう。天皇は,街宣車に乗る右翼であろうが天皇制反対デモを行う左翼であろうが関係なく,すべての国民の幸福を祈る存在だからである。
昔,朝生で舛添要一氏が「日本人のアイデンティティについて考えると,どうしても最後は天皇制に辿り着く」と発言したのを聴いて,ほとんど理解できなかった。とくに右翼思想でもない同氏がこのようなことを言うのは言いすぎと思う一方で,不思議なカッコよさも感じていた。しかし今は,その発言の意味を少し理解できたように思う。
北朝鮮をはじめ,韓国に中国にアメリカなどが傍若無人に振る舞っているのを見ると,その中で日本はどう在るべきかなんとなく考えてみたりする。具体的にどうすべきかはわからなくても,あんな風にはなりたくないな,日本人でよかったなと思ったりはしないだろうか。
あるいは,会社の不合理なルールの中で自分はどのように働きたいのか悩んだり,歩きタバコをしてはポイ捨てをする輩に腹を立てたりする。自分も他人に迷惑をかけていることはわきまえつつも,自分さえ良ければ良いという人間にはなりたくないと思ったりする。
このような自分の心の在りようの底には共通して,日本は美しい国であって欲しい,個人として美しい生き方をしたいという願望,美意識が潜んでいるように思う。
そんなことは「日本人」特有ではなく「人」として思うことだといわれればそうかもしれない。しかし私は,大地震の際に上皇さまが被災地に赴き膝をついて避難民にお言葉をかけているのをみて,「人」としてのみならず「日本人」特有の感覚もあると感じた。
あのとき,多くの国民ができれば現地に行って何か役に立ちたい,行けなくても募金で何かの足しにして欲しいと考えていた(人によるだろうが,遠い外国で大地震が起きても,我々は「日本人」としては思うところは少ない。)。日本人が日本人のことを慮る大なり小なりの善意が,上皇さまの訪問に象徴されていた。天皇が「日本国及び日本国民統合の象徴」であるとは抽象的で難しい言葉だが,簡単に言えばそういうことではないか。
天皇制を理解することは難しい。元号や皇位継承など合理的でないと思われる問題は,確かにある。しかし,合理的=正義,不合理=悪とか,右翼対左翼などの単眼的二分論に囚われていては,何も理解できない。
理解能力の低さを棚に上げて批判をするのでは,大学生の映画評論と変わりがない。自分の感覚とダイレクトに向き合うことから始めなければ,自分も他人も社会も国も理解はできないだろう。
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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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