[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
原作を知らずまだ1期を全部観た程度ですが、非常に良い作品でありました。少女漫画だからと食わず嫌いするのはもったいない。
私の場合、おととしに2話で切ったので「食わず」ではなかったのだけど、最近人から勧められて改めて観直したわけで。
それでも正直6、7話あたりまでは、すぐに泣き出す爽子を見て「これが25話まで続くのかよ・・・」とちょっと思ってました。
しかし体育祭編で胡桃沢梅が暴れ出してからはギアがいきなりトップに入り、
次の千鶴の恋編では鼻水を垂らして泣き、
気がつくと爽子が泣けば条件反射で私も泣くようになっていた。
道で人がコケたらざまあみろとしか思わない外道な私が、なにゆえ「クリスマスパーティーに行きたいけど行けない(涙)」みたいな他愛のないくだりで泣かねばならんのかと。
私はどちらかというと花とか見た目の美しいものよりも、汚いものや反社会的なものの中に美を見出したいタイプの人間であって、それが負け組が戦って生き延びるために必要なプライドでもあった。
そんな私にとって、一見負け組だが圧倒的な勝ち組(になるはず)の爽子よりも、一見勝ち組だがコテンコテンに負けた梅のほうにグッとくる。
というか、勝ち組負け組関係なしに男にとっては梅が最強。これ基本的知識。
白々しい笑顔がまた素敵
まあ、爽子には風早君じゃないとダメなわけで、たとえば
031 名無しさん (2011/01/14(金) 10:54:09 ID:xQSM0qS30Y)
032 名無しさん (2011/01/15(土) 04:06:36 ID:8O80NbgYXI)
(某画像掲示板より抜粋)
そういうことなんですよ。
30の発言はさておき今では私も、爽子のような娘がいたらいいなあと父親目線でセカンドシーズンの放送を毎週楽しみにしておるわけです。
いい~お父さんだ・・・
ちなみに私が「君に届け」の中で誰に似ているかという話ですが、見た目的には(おむすび顔)状態の龍が一番近いかもしれない。中身的にはピン先生でありたいものですね。
人の話に全く興味のない龍
女子高生に告白されたと勘違いするも迷わず豪快にふってみせるピン様
・・・と、ここまでの感想でやめるべきか、それともこの作品が持つ美しさの理由について踏み込んで語るべきか、ちょっと迷っています。非常に的外れかつ恥ずかしいことを書いてしまいそうな予感。
なのでとりあえずは、爽子よろしく時間をじっくりかけてこの作品と向き合ったうえで、あなたにお届けしたいと思うのです。
たぶん続く。
フッ・・・羨ましくなんてないさ
1位:四畳半神話大系
閉塞感なんてものはまさに字の如く感覚の問題でしかない。であるにもかかわらず、あたかも「閉塞感」と看板のついた建物に住んでしまう。それがつまり、本作の主人公「私」が下宿する下鴨幽水荘の「四畳半」の部屋に当たる。
「私」も最初は薔薇色のキャンパスライフを夢見てあれこれやった。が、どれもうまくいかない。だったら最初から何もしないと四畳半に引きこもり、出られなくなる。どうやって出るか答えは簡単、外に出ればよい。しかし出た先はまた同じ四畳半。出ても出ても永遠に続く四畳半。
答えがわかっているのに出られない。出られなくても、魚肉ハンバーグとカステラとコーヒーがどの四畳半にもあるから飢え死にすることはない。死ぬことで部屋を出たほうがマシに思えるのは私だけだろうか。どこかで聞いた話のような気がしてならない。
「私」は当然最後には脱出するのだけど、そりゃそうなれば脱出するだろうなあというものだった。でもいい。何も奇をてらう必要はない。「私」はその程度のことができなかった。それだけのこと。
抽象的な言い方になるが、重要なのは答えが何であるかを知ること(教えてもらうこと)ではなく、答えに向かって自分の足で歩くことそれ自体なのだろう。こうやってわざわざ書くのも恥ずかしくなるくらい普遍的なお話であるし、今こそ重要であると実感させられる2010年のお話でもあった。
君には絶対に薔薇色のキャンパスライフは送れない。
私が保証しよう。
なぜなら人生は愚鈍な色に満ちているからだ。
と真理を語る樋口師匠のお言葉が素晴らしい。このネガティブなようで何気にポジティブなお言葉と、OP曲「迷子犬と雨のビート」が私の中で非常に良くマッチする。
本作をして、2010年のリアリティを最も的確に切り取るものである、と客観的に観ることのできない私が言ったところで説得力はないだろう。ただ、自分にとって大事な作品が文学、音楽、映像と各ジャンルの優秀な才能が集まる場であった(音楽だけでもOPがアジカン、EDはやくしまるえつこ、砂原良徳、いしわたり淳治と最強すぎる)ことにより、今まですごしてきた無駄な人生にも何かしら意味を感じざるを得なかった。
第1話でこの角度で「約束ですよ」と言われた時点ですぐにデートに誘うべきだった、というのが正解
2位:機動戦士ガンダムUC
最近「大人のアニメ」とかいう言葉を目にするようになった。私としてはいい歳してアニメなんて恥じるべきと思っているので、安易に自分の恥部を正当化することは厳に避けたいところであるが。
この平和な日本に住むほとんどの人は、8月の終戦記念日以外に「戦争」について意識する機会すらないだろう。そんな我々にとってガンダムを観ることは、8月以外でも戦争について微量ながらも考えるきっかけとなり得る数少ない機会といってもいい。ガンダムがリアルロボットアニメーションなどと呼ばれてきたゆえんでもある。
しかし下品なことを言えば、ガンダムは昔から戦争を口当たり良く語ることによって、プラモデルを売りつけるための商売アニメでもあった。私たちの上の上(さらにその上?)の世代が零戦や戦艦大和の模型をありがたがるのと似ているかもしれない。戦争を知らない世代の我々が戦場のロマンに思いを馳せる。ユニコーンは、ダブルオーでは満足できない我々の世代のために作られたガンダムらしいガンダムといえる。
本作はテレビ放送ではなくOVA全6巻リリース予定で現在はまだ2巻だが、この段階ですでに名作と呼ばれることが約束されているといっていい。第1話「ユニコーンの日」は、いかに緻密に作られた美しい作品であるかを秒単位で解説したいくらいだし、第2話「赤い彗星」はモビルスーツ同士の戦闘だけでなく人間同士の(会話による)戦闘も緊迫感があって素晴らしかった。
原作者福井氏がこだわったというユニコーンのビーム音は、初代ガンダムのそれと似ているが全く同じではない。その音の中には、ユニコーンが初代からZ、逆シャアの流れを汲む正統派であるという宣言に加え、新しいガンダムを作るという気概も込められている。
ここで昇天します
今さらガンダム?というのは確かにそのとおり。でもただの後ろ向きな懐古趣味じゃない。前に進みたい人にとっては、あのビーム音から始まる何かがあるはず。
3位:けいおん!!
自称ロック好きでかつインターネットを嗜んでる人間なら、まず100パー観ていると思って間違いない。にもかかわらず、今さら「けいおんってなんか流行ってたらしいですね~」などと白々しいセリフを吐く奴が許せない。そういう卑怯者に対しては、罰として「けいおん最高!」と人前で言う刑を科すべきであると思う。
それはさておき。
昨年放送された「けいおん!」(第1期)について京都アニメーションは、大ヒット作「ハルヒ」の第2期の前座と位置づけていたと推測される。ところが前座がメインアクトを食ってしまったことを受けて、今年は「けいおん!!」(第2期)としてメインに昇格。第1期の倍の2クール分に増量してDVDorブルーレイにサントラも売ったるぜ的な雰囲気を感じて少々心配だったが、観終わってみれば、見事メインアクトとしての責務を果たしたといっていい。
ネタの密度という意味では「!!」は「!」よりも薄まったことは否定できないが、「!」の濃さを考えれば「!!」はちょうど良かったし、むしろそのゆるさに、本作の魅力を最大限に際立たせる効果があったと思う。
私が「けいおん」をとにかく評価したいのは、ロックやアニメを変に背負ったりせず、ポップスとして引き受けた点である。
つまり、ロックに対する深い知識がありながらそれをひけらかしたり無駄にリアルな演奏シーンを再現して技術をアピールするわけでもない。もっと萌え萌えさせたり微エロにしてアニヲタを喜ばせることもできるが、それをしない。
マニアを排除することによって、なんとなく音楽が好きな人となんとなくアニメが好きな人が集まりやすい場所、楽しい雰囲気を作りにこだわっていた(「雰囲気アニメ」と揶揄されることがあるが、それは揶揄になっていない)。
結果、「けいおん!」が普段アニメを観ない人にも認知されたり親子で観る人がいたり巷でギターを担いだ女子高生がちらほらみられたのは、まさにポップスとして機能したからである。「けいおん!」の懐の広さこそがポップスの王道ではないだろうか。
ああいう純粋でかわいらしい女子高生像みたいなのはアニヲタ好みな非実在青少年かもしれない。しかし、劇中で彼女たちが送った何気ない日常は、かつて私たちも経験したことのあるリアルなものだった。
思い返してみれば、私たちも高校生のときは唯のようにただ「暑い~」と言いながらウダウダしたり、今では考えられないほど寒いギャグを言ったりしていた。そんな私たちが唯たち放課後ティータイムのメンバーと2クールもの間ダラダラ過ごしたからこそ、最後の学園祭ライブは楽しかったし、その後の部室では大泣きしてしまうのである。
あー。もっと褒めるべきところがあるけど最後に1つだけ好きなシーンをいうと、第10話の結婚式。deathdevilのライブで新郎がロックとかあまり興味ない感じなのに、新婦と一緒に楽しもうとがんばってる1コマ。
細かいけどこういうシーンって音楽に対する愛情が深い人でないと絶対思いつかない。だから「けいおん最高!」なんですよ。言っちゃったし。
新郎新婦の前で孤高のブルースを鳴らすさわ子
4位:パンティ&ストッキングwithガーターベルト
セックス&バイオレンスを最高の作画と最高の音楽と最高のセンスと最高にオタクな知識を駆使してアニメにすると、このPSGになる。
主人公である2人の天使の名前が、アナーキー・パンティとアナーキー・ストッキング。
「アナーキー」と「穴あき」をかけるネーミングセンスからしてすでに濃い。さらにガチホモ神父のガーターベルトや不死身のチャック兄貴といった濃すぎるキャラが加わり縦横無尽に暴れる様は、ロックンロールを通り越してパンクですらある。
今ロックをやってる人たちはこれよりロックなことをできるのだろうか。漫画の帯に推薦文なんぞを寄せてる場合か?
絶対2期をやってくれなきゃ困るファッキンビッチなバッドエンドも含めて全てが最高としか言い様がないが、詳しい人によるとto be continuedとまで言ったのに投げっぱなしにするのがガイナックスらしいから恐ろしい(値段も見ずにブルーレイとサントラをレジに持ってったら「1万2千円です」とか言われてホント恐ろしい)。
不死身のチャック兄貴
&変態神父
m-floのTAKUを中心に作られたサントラのカッコよさも発売前からすでに折り紙つき。しいてダメな点を挙げれば、聴いているうちに音楽と映像を同時に楽しんだ方がさらに得であることに気づいてしまうことだろうか。
私にとってハズレのエピソードはないけれど、放送第1回の「仁義なき排泄」の変身シーン、「デスレース2010」のスピード感、第6回「悪魔のような女たち」のザ・アニメっぷりは間違いなくここ数年のアニメの中で最高峰。じゃあなんで4位なんだって話はさておきこれを観てもアソコがウンともスンともこない人は、生きながらにして死んでいる可能性がありますのでご注意を。
俺はもう何も言うことないよガイナックスさん・・・
5位:閃光のナイトレイド
第二次大戦前の満州を舞台に、「能力」を持った者たちで構成された日本の特務組織「櫻井機関」が大活躍・・・というのはアニメ的見地からすると非常に地味であり、他方で、歴史物としては超能力者が出てくる時点でトンデモ系・・・と両方の畑からスルーされてしまった感のある隠れた良作。
歴史物とエンターテイメント作品のバランスをとろうとしてどっちつかずに映ってしまったのが非常に残念である。せめてもうちょっとマシなタイトルがあれば・・・と思わなくもない。
大枠をいうと、欧米列強の帝国主義に対抗すべく、日本陸軍の一部隊が植民地の指導者たちと連携して最終戦争をしかけようと原爆を開発し、それを超能力者たちが阻止しようとするお話。実際このくだりは石原莞爾の「最終戦争論」をベースにしたフィクションとノンフィクションの境界ギリギリの過激な設定であり、中にはテレビ放送できずに総集編に差し替えられたエピソードもあったとか。
ほんの10年くらい前までは、「何故日本が戦争に突入したか」と問題提起するだけで太平洋戦争の美化につながるといって言論が封殺されてきた。それが2010年の今、完全な形ではなかったにせよ、公の場で太平洋戦争の時代の日本と世界のありようを相対化して論じることができるようになった。そういう意味ではいい時代になったし、ある意味大変な時代になったとも思う(放送時はなぜ今太平洋戦争?と思ったが、最近の東アジア情勢をみるとあながち時代錯誤なテーマとは言い切れない)。
地味であることを恐れずに丁寧かつ挑戦的に作られた作品。応援する意味でも第5位。
声優に英語だけでなく中国語までしゃべらせるこだわりをスルーして声優の1人がセリフ棒読みとかもうね、批判の仕方がトンチンカンなアニヲタが未だに多いという意味ではまだまだいい時代とはいえないけど。
雪菜様は令嬢なので棒の方がむしろ良いのです
6位:デュラララ!!
簡単にいうと2010年度版「池袋ウエストゲートパーク」。
10年前にドラマをやってた頃の池袋は、フィクションとわかりつつもカラーギャングを見かけたらどうしようみたいな軽いワクワク感があった気がする。
しかし最近の池袋には、そういう錯覚すら感じられない。
それは、大衆の意識や情報が集まり、発信される場所が池袋などの「街」とか「ストリート」といった現実的な空間から「インターネット」という仮想空間に重点が移行したことによるのではないだろうか。カラーギャングがいるかもと思えば怖いが、携帯をいじっているだけの無色透明な若者たち(本作でいう「ダラーズ」)がいるかもと思ってもドキドキするのは難しい。
今リアルな表現をしようと思ったら携帯やパソコンにまつわる描写にはこだわるべきところ、デュラララは携帯でつながる若者たちを描くことでドラマIWGPのリアリティを引き継いだのだと思う。
そのこと自体を評価してもしょうがないので何がリアルかもう少し具体的にいうと、デュラララは、社会で世渡りしていくためには現実世界では表面的に上手にやり過ごし、仮想空間では本当の自分をさらけ出すというバランスの取り方をする若者が増えてきている状況をきちんと踏まえている。その上で、現実世界とネット世界のズレをさまざまな人間模様を交錯させながら集約させる展開が見事だった。
さらに興味深いのは、折原臨也(&中の人である神谷浩史)という情報屋の存在である。臨也の問題提起を乱暴に要約すると、ヒトという種族は本能のレベルでは戦争したくてしょうがない、戦争をしてこそヒトは天国に行けると考えている。なのになんで携帯電話で仲良くしているの?本当は大して仲良くなんかないのにさ(笑)ということである。
ストーリー上その問題提起はクリアされないまま、臨也をちょっと痛い目に合わせるというごまかしで終わってしまい、個人的には若干物足りない。その問題提起をもって答えとして納得すべきなのかもしれないが、でも首なしライダーを実在する妖精として位置づけたり神話のくだりまで出してフィクションを強調したんだから、やっぱりもうちょっと先まで語ってくれよとは思いましたけどね。2クール分あったんだし。
7位:学園黙示録Highschool Of The Dead
平和な日常が突如、無数のゾンビがあふれる世界に変わるというベッタベタな設定。
主人公とともに逃げる3人の女子高生たちは無駄にスタイルが良く、無駄にでかい胸を揺らし、無駄にパンチラをし、みな主人公に欲情する。主人公は当然イケメンで、友達のブサメン軍オタ君は無数のゾンビ相手にヘッドショットを決め続ける超一流のスナイパー。設定から何からリアリティを欠くこと甚だしく、パッと見ズバリ下品ですらある。
しかし、そうやって批判する前提そのものに間違いがある。
いつの間にアニメはお上品にリアリティを追求する表現ジャンルに成り上がったのかと。自分がアニメを観ることを正当化したいがために「最近のアニメは結構リアルでさ~」などと御託を並べる必要はない。アニメは昔からリアリティを欠いてきたし、そうであるがゆえに、逆にリアリティ、物事の本質を突くことのできる表現手段だったのである。
この学園黙示録HOTDは、
男なら
大きい○っぱいが
グラングラン揺れたら
嬉しいだろ?
という男の本能として至極当然なリアルを叩きつけてくる。リアリティ云々言うなら、観る側もその胸や尻から目を背けてはならない。
またこの作品が面白いのは、そのエロさの反社会性である。
たとえば女子高生にして剣の達人である毒島冴子は、ゾンビを殺していくうちに徐々に自らの本能的欲求に気づき始め、ついにはゾンビの頭を吹き飛ばしながら悦びの声を上げる。私は女でないから冴子の悦びが女性一般に妥当するリアルなのかはわからない。しかしああやって女性が本能を解放してメスになっていく様子は、その辺のパンチラアニメでは適わない本質的なエロさをまとっている。
今年ぶっちぎりのベストカット
暴力衝動と性的衝動を合体させて肯定的に描いている点では、犯罪を助長するおそれのある「反社会的」な表現ともいえる。しかし、およそ表現が「力」を持とうというときは、反社会的な表現との限界に向き合わざるを得ない。
人が本能的に反社会性を持った社会的な動物だとすれば、人の本能と向き合わなければ本質的なことは語れない。
本質的なことを語れなければ、その表現に説得力は生まれない。
昔何かのアニメでおばあさんが「良い魔法に力を与えるためには悪い魔法も知らなければならない」と言ったのは、そういうことではないだろうか。
話を戻すと、HOTDの持つダイナミズムとか反社会性はかつてロックの専売特許であり、そして今のロックが失っているもののように思えてならない。そう思って監督のインタビューを読んでみるに、「乳の揺れ方にはとにかくこだわった」という本物の馬鹿。
しかしこのくだらなさは、表現者として圧倒的に正しい。
8位:それでも町は廻っている
目に見えないものを「存在する」と断定するのが論理的でないのと同様に、目に見えないものを「存在しない」と断定することも論理的とはいえない。そういう当たり前のことをわかっている人には面白いが、そうでない人の目にはただのグダグダアニメに映るかもしれない。
私も最初は日常のグダグダ感をシャフトの演出でみせるだけの作品かと思っていたが、途中から宇宙人や未来人に死後の世界などといった非日常的要素を登場させて同じようにグダグダ感を持たせたりして、見たことのない変化球を投げられた感じだった。この作品は原作が強いので、演出をああだこうだと語る必要もない。
普通は「科学的である」ということと「論理的である」ということは一致する。
しかし、科学的には説明できなくても論理的に説明できることはいくらでもある。
例えば第3話「目」の中で歩鳥が数学教師森脇をからかう様子は、つまり原作者が「科学的=論理的」と考える人たちを挑発しようという本作品の目的そのものともみえる。歩鳥が(科学としての)数学は苦手だが(論理的に考える)探偵推理小説が大好きという設定は、そういう意味である。そう考えるとこの一見バラバラなストーリーは、日常非日常を問わず論理的に説明しようとする一貫した作品として見ることができる。
おそらく原作者の頭の中では、論理的に説明可能という意味では日常と非日常とであまり大差がなく、境界があまりはっきりしていないのだろう。その感覚が、「それ町」の独特な世界観の根本にあると思われる。俺の嫁タッツンの活躍があまり多くなかったのは残念だが、この独特な世界、というか町は歩鳥を中心に廻っているのだから仕方のないことではある。
9位:Peeping Life
あるあるネタ系の脱力ショートコントアニメ。気の短い私にとって、1本10分以内で終わってくれるのは非常にありがたい。無駄な会話しかないけど無駄は1つもないというすごさ。
とんねるずの細かすぎて伝わらないモノマネが大好きな人には高確率でヒットするだろうが、そうでない人には全くつまらないどころか怒りさえ覚えるであろう作品(実際、私はDVDを貸した人に怒られた)。それくらい、マニアックさのレベルにおいて、アニメに限らず漫画お笑い等全ての表現ジャンル中で現在の最高峰といっていい。
アドリブを多用するということなのでプレスコ録音になるのは当然理解できるのだけど、そのアドリブがどこからどこまでなのか、どれほどの計算の上でなされているのか全く想像できない。監督兼声優としてオタク君を演じる森りょういち氏が無駄にイケメンなのも私の理解を超えている。
10位:さらい屋五葉
時代劇といってもセクシー美女が圧倒的な強さで敵をなぎ倒すわけではなく、かといって実写ドラマのように「いかにも」な人情物でもない。メチャメチャカッコいいわけではないが、さらりとカッコいい。ものすごく泣けるわけでもないが、さらりと泣ける。このオノ・ナツメ特有の語り口は、日本酒でいうぬる燗であって熱燗ではない。大人にしかわからない味。
【以下、観たけど圏外】
アマガミSS
いわゆるギャルゲー原作のキモヲタ御用達アニメ。主人公橘クンが色んなキャラの女の子と仲良くなるだけのお話。1人辺り4話で最後に告白されたりキスされたりすると、リセットされて他の女の子という構成。恋愛三角関係になって欝展開とかにはならず、ただボーっとしているだけで女の子が主人公に好意を寄せてくる。
原作がゲームのせいなのかわからないが、ストーリーのポイントとポイントの間の論理的なつながりが弱く短絡的にみえる。ゲームだったら「やさしくする」と「叱る」の分岐があって悩むのだろうけど、アニメだといきなり橘クンと女の子がもつれて転んで気がついたら保健室だったり図書室で2人きりになったりとかまあ、見方によっては笑えるけど。
製作者はおそらくリアリティの「リ」の字も考えていない。なぜなら、本作品の目的は、草食男子(生来的及び意に反して後天的に草食にならざるを得なくなった者を含む)の魂の救済であって、そのためには中途半端なリアリティは不要どころかジャマだからである。
今はまだキモヲタ専用でも、こういう発想の恋愛補完商品が出回る流れは今後加速していくだろうと思う。女性と比べて男性は現実逃避が得意中の得意ですからね。魂の救済まで話を広げたらそれこそ絶対需要はなくならないでしょう。私にはアマガミSSはぬるすぎて全部は観れなかったけど、だからといって二次元好きな人をかわいそうとも思わないし軽蔑する気もない。うまくは言えませんが、タバコをやめられない人が酒をやめられない人を馬鹿にする資格はないということですかね。まあ、そんなゆとりがないだけかも。
荒川アンダーザブリッジ
中村光のシュール系ギャグマンガ。内容面だけで言えば私の好みではなかったが、おそらくマンガ好きの人には広く受け入れられそう。
シャフト作品というと映像面の演出に焦点を当てて語られることが多いが、私が今まで観た限りでは、声優の演技を含む音声面へのこだわりのほうがむしろ気になる。例えば本作の登場人物のほとんどは主役、準主役クラスの声優であり、このことだけでも、本作を成功させるためには是非とも実力派の声優で固める必要であるというシャフト側の熱いこだわりを感じるし、声優陣もそれに応えてか、俺が私がといわんばかりにシュールキャラを熱演している。彼らに振り回される主人公リクルート役が神谷浩史だったのは単に今一番モテる声優だったからではなく、強者たちと渡り合えるのは彼の他にいないからである。
私としては「この内容的にあまり面白くない作品にここまで熱くなれる人たち」という光景が最もシュールに感じられて楽しかった、というのはものすごく皮肉に聞こえるかもしれないけど、でも2クール分全話観られたのは、結局なんだかんだ言って目が離せない作品だったということである。
あと、1期と2期をやればOPもEDも別のアーティストに代えるのが通常であるところ、本作はOPにやくしまるえつこ、EDにスネオヘアーを一貫して起用。ここにもシャフトのこだわりを感じる。実際2人の曲は本作の世界観にこれ以上ないくらいにフィットしている。私がシャフト作品を信じられるのは、ここが一番大きい。
Angel Beats!
けいおん!がロックを扱っておきながらあまりロックを背負っていないのと比べて、このAngel Beats!はアニメの側からもろにロックを背負って音楽業界に殴りこみをかけようとした点では評価したいし、一応それなりの結果は出したようである。
しかし肝心の本編の出来はというと、話にまとまりがなくただ泣かせたいだけというか、単に商売のために麻枝准の才能をよってたかってしゃぶりつくしただけで神谷浩史の熱演がなければどうなっていたことかと思うものだった。でもOP曲と沢城がボーカルの「Crow Song」だけは何度も聴いてしまって複雑な気分ではある。
俺の妹がこんなにかわいいわけがない
アキバ文化に対する愛情とそれに裏付けられた批判的な文脈を作品中に散りばめることで、表現の強度を上げていこうとする気概を強く感じた。話の流れが原作を知らない者にとってはぶつ切りに感じられるところが多々あるが、それはおそらくやりたいことがもっとたくさんあったのに事情により詰め込みきれなかったからだろうと推測する。
まさにタイトルが示すとおり、「こんな設定は現実にありっこない」というツッコミを作品内に組み込むことで逆にリアリティを獲得しようとする手法。そういう意味では「涼宮ハルヒの憂鬱」のフォロワー的作品として位置づけられると思う。
しかし、「妹がかわいい」、「妹がツンデレ」まではまだ許せるとして、「妹がエロゲ好き」、「妹が妹萌え」という非現実的設定に対する切り込みは物足りなかった。ただ個性的であることそれ自体に意味を見出すことに意味はあるのだろうか。その点に対する自己批判をストーリー中に落としこんだまでは良かったが、そこでとどまってしまっていた。
他にも、第5話で桐乃の「知らないよあんなキモイ連中」というセリフとその後の黒猫の脳内リフレインを使い分ける演出はすごく染みたしOP曲「irony」のキラキラ感も素晴らしかったし他にも部分的に良い点はあるのだけど、トータルでは厳しかった。
ジャイアントキリング
原作の魅力が選手や監督同士のやりとりや内面の描写にある以上、アニメでその魅力を活かそうとすると、試合外のエピソードや試合中のスローモーションが多用されてアニメ作品としての魅力がなくなる。逆にアニメ作品としての魅力を出そうとすると、内面の描写が難しくなる。
この矛盾をどう解消してくれるのか見ものだと思っていたら、普通に前者のパターンで作られていた。良くも悪くもNHKアニメ。ジャイアントキリングの面白さを評価してたなら作る前から気づいて欲しい、ていうか私も観る前に気づくべきだった。
世紀末オカルト学院
なぜ2010年の今に1999年のノストラダムスをテーマにするのか、というのはわからないではない。21世紀になったけど世界は大丈夫だったじゃん、みたいな気の抜けた感じが支配するこのご時世。何かを物語ろうとするにあたって、世紀末の緊迫感が再び欲しかったのだと思う。
仮にそうだったとして、その目論見は成功したようには見えなかった。10年前のパワーを利用するのは結構だけど、昔を懐かしむのに10年前ではまだ早いと思う。難しいところだけど。
05:45
想像を絶するほど早朝に起床。
うどんを食って出発。雨はまだそれほどでもない。
06:45
新宿ピカデリーに到着。
台風を考慮してか、建物内の非常階段に通される。
ヲタクはあくまで非常階段がデフォらしい。
同じ時間にGANTZの前売りセットとやらを求める女子たちは暖かいフロアの中で並んでいたようだが、この扱いの差は一体どこにあるのか全く見当もつかない。
前回は非常階段のかなり上まで登ったが、今回は上で折り返している。なので、大人3人が通れる幅の階段を、下りの列と登りの列がすれ違いながら進むシステム。
のはずだか、下り組がぞろぞろと降りてもこちらは一向に登る気配がない。そもそも上がどこまで続いてどうなっているのかも見えない。そういう意味で前回より3倍ストレスフルな状況だった。
途中、下り組の列が途絶えたのでどうしたのかと思ったら、ガンヲタさんが係員にキレながらゆっくり降りてきた。
「だから合流できるのかできないのかって話だよ」
と強い語気で係員相手に凄んでいた。
一体何にキレているのかわからないがこれがあのイタイ場面というやつか。確かに私もピカデリーの仕切りは甘かったように思ったが、まあもういい歳なんだから・・・。
私はというと、並んでる間は主にホリエモンの「徹底抗戦」を読んで気を紛らわした。自分の柔軟性にいくらかの自信がある人ならば、読んで彼に対する誤解を解いてみるのも良いと思う。あと持参していたのが、佐渡裕の「僕はどうやって指揮者になったか」。これも面白いが、読みかけがちょうど彼の師匠バーンスタインが亡くなったあたりの泣き所だったので即中断。
08:20
あまりに進まず暇。
1時間半以上並んでやっと1フロア上に登った程度。
やがて初回の人がボロボロと列から離脱していく。一番気合を入れてたはずなのに、グッズをツルッと買えないシステムはいかがなものか(徹夜禁止と言われていたのに0時から並んだ人もいるらしいけど・・・)。
私はあまり深く考えずに2回目にしておいて運がよかった。
08:50
上に登らない代わりに折り返し地点が徐々に下に降りてきて、とうとう私も下り組になった。
私の2人前の男性が、PSPで格闘ゲームをやっている。なぜか女の子が水着のような鎧を着て、大きな剣を振り回している。いわゆるビキニアーマーというやつだ。インリンが着てたのと大体一緒に考えていい。ていうか彼のメガネと画面の距離が異様に近い。一生懸命ボタンを押している。その彼のTシャツの背中で揺れる、
HIROKO
KOSHINO
の文字に気づいて内心カフェオレを吹いた。私はファッションのことは全然わからないが、彼が何がしかの間違いを犯していることは間違いない。
09:10
ようやく1Fフロアに突入。臨時売り場までもうすぐ。
ブルーレイはまだあるのか?狭い所で行列に並ぶのは苦痛だが、ギリギリのところで買えるかどうかというスリルは意外とたまらないものがある。
確か注意事項には、ブルーレイかプラモのいずれか一方を買ったら再度並ばないと他方を買えない、と書いてあったはず。
にもかかわらず、プラモ入りの紙袋ばかりが渡されているように見える。
もしブルーレイが売り切れたなら、アナウンスがあってしかるべき。ここで俺もキレるか?キレていいんじゃないか?不思議と楽しくなる。
あるいは、いずれ手に入るブルーレイよりプラモのほうがプレミアつくのか?1話と2話のシナリオも限定のはずだが・・・。
私の目の前でみんながみんなプラモを買っていくので、土壇場にきて私もプラモに切り替えるべきか考え始めてしまった。冷静さを欠くと、こうも簡単に判断を誤りそうになる。よくわからんがすごい楽しい。
そしてもうすぐ私の順番。
ここでなんと、私の少し前にいたオジサンが何も買えないまま売り場から消えていった。
よく聞こえなかったが、おそらく座席引換券と座席チケットを間違えたか、あるいは明日以降のチケットを持ってきたのだろう。
台風の中来て2時間以上並んだあげくにこんな仕打ちがあるのかとビックリ驚いた。
これぞそれはねーよ状態。確かに思い返せば、グッズを買うためのチケットと引き換えるためのチケットをイープラスで販売するとかややこしいシステムではあった。
し か し 。
そんだけ熱心でありながらなぜ注意事項をちゃんと読まなかったのかという最大の矛盾。やはり内心カフェオレといわざるを得ない。
うんちょっと待った。
よくよく見ると、みーんなブルーレイとプラモとパンフレットの3点セットを購入してますよ。
一度に片方しか買えませんとあれだけ強調して書いてあったのに意味不明ってかそんなに緩いんだったらさっきのオッサンにも買わせたれよwwwwwww
・゚・(ノ∀`)・゚・。ギャハハ
ま、済んだことはしょうがない。
代わりに私が3点セット購入してやりました。あくまで自分のためだけに。
クリアパーツのプラモなんか何がありがたいのかわからんけど記念に買った。ブルーレイとプラモとパンフの3点で計9900円?もう罠にはめられたとしか思えないんですけどwww
3点ちゃんと買えたか何度も確認する私
09:30
グッズ購入が済んでホッと一息。
紀伊国屋地下のファーストキッチンで優雅に2度目の朝飯を食す。K坂さんに自慢メールを打ちながらも、プラモを盗られないための警戒は怠らない。絶対誰も欲しがらないのはわかっているけど。
10:10
再びピカデリーへ戻る。
「すぐ帰ってブルーレイで復習ですわ!オツカレ~w」
と、初回を見終わったガンヲタの団体さんが玄関前で盛り上がっている。なるほどいよいよ。
3Fゲートに行くと、10:30の回の人たちが入場中。「赤い彗星」のイベントだけあって、赤いバッグ持ってたり赤系の服を着てる人が結構いた。かくいう私も、パーカーの下に赤いTシャツをひそかに着用してたりして。
列に並ぶと、コスプレ3人衆(シャア、フル・フロンタル、マリーダ)を発見。ていうか席も同じE列でちょっと近かったので様子を見てると、ネアカで全然ヲタクっぽくない。シャアの人なんて両手をワッショイワッショイしながら周りの人に、
「みなさん、入場してきたら『ジークジオン』って言いましょーw」
と何度も呼びかけたりしてかなり底抜け。彼を見て見ないフリをするヲタクさんたちとの対比で、余計明るさが際立つ。彼こそある意味「赤い彗星」なのかもしれない。
コスプレイヤーの堂々たる立振る舞いに、己の小ささを思い知る。せめて写真は撮らせてもらうべきだったか。
10:30
そんなこんなで舞台挨拶開始。
古橋監督、原作者福井氏、主人公バナージ役の内山君と続き、最後にフル・フロンタル役の池田御大登場。
私の視界の端でシャアがワッショイワッショイしてるが当然誰もついてこない。しょうがない。
日本アニメを代表する二大カリスマキャラといえばアムロ・レイとシャア・アズナブル。
そのシャアを演じたのが池田秀一。
まさに生ける伝説。その風貌を一言で表すとたぶん「とくダネ!」の小倉さんに似てた気がした。
・・・
いや、カッコ良かった。濃いグレーのジャケットの下に赤いセーター。発想が自分と似ててちょっと嬉しい。
小倉さんっぽいのはさておき、やはり声の重みですかね。言葉をじっくり選んでいるのか単にアガッているのか不明だけど非常にゆっくりとしゃべるので、一言一言発するたびにシーンとなる。会場全体が、彼のナマ声に聞き惚れていた。
他の作品での演技を聴いたときはさすがにもう歳なのか?と思うこともあったが、今回のフル・フロンタル役はまさにこれでしょこれぞシャアでしょという貫禄と艶がある。素晴らしす。
もっともそれは、原作者福井によるシャアの解釈の正しさに池田秀一が呼応した結果でもあるのだろうけど。
他方、バナージ内山君はまだ20歳。
まさにガンダムのガの字も知らなかった若者で、大勢のガンヲタたちを前に(なんかよくわからないですけどとにかく頑張ります)みたいな。
ユニコーンを観ていると、もしかしたら今後バナージしかできなくなるんじゃないか?と心配してしまうくらいバナージとシンクロしているように思えるのだけど、中の人の人柄からは、バナージのようなナイーブさはほとんど感じられない。それだけに、役者ってすげーな若いのにすげーなとつい馬鹿丸出しの感想を持ってしまう。
決して若さゆえの不遜さはないが、かといって頭でっかちに知識を仕入れて私たちの思い入れを変に背負うほど謙虚すぎるわけでもない。そういう彼のスタンスが、アムロとシャアの時代から約20年後の若者を演じるのに非常にプラスに作用しているように思う。なんにせよ内山君も池田氏同様「聴かせる」才能を持った声優である、というのがファンとしては嬉しい限り。
というわけで舞台挨拶に続いて本編上映、そして終了。
私も帰ってすぐ復習しましたが、作品に対するコメントはまた今度の機会に。とりあえず、イベント行って良かったです。以上。
いやー、癒っされるわ・・・
04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |