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~語るべきことなど何もないのに~
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先日公開が終了したマイケル・ジャクソンの「This is it」は、文句なく今年No.1の映画だった。



観た人であれば、この評価及び以下に述べるトンデモ話についても同意してくれるはず。





ほんの少しでも興味があったのに見逃してしまった人には、そのミスの重大さを痛感してしまうほど素晴らしいものだったと言っておこう。実際、夜に新宿の映画館を3つ周って全て満席のため退散し、わざわざ新百合ヶ丘に行ってもやはり満席だったので仕方なく翌日のチケットを買い、その翌日の回もすべて完売になったという事実。
そして、エンドロール後に会場で大きな拍手が起こったという事実(知人が他の日に観たときもそうだったらしい)が証拠である。



見逃した人は、ブルーレイを大画面で観ることをとりあえずお勧めしておく。ただし、映画館で観るべきだったとさらに後悔するかもしれないけれど。






映画は、今年行われる予定だったロンドン公演のリハーサル風景と、公演のために撮影し、使用するはずだったビデオの組合せで主に構成されている。通常であればマイケルを追悼するニュアンスでお涙頂戴的なものになりそうなものだが、そういうものでは全くないリハーサル映像といってもほとんどライブを観ているようなもので、非常に熱い作品、いやステージだった。ファンを楽しませたいというエンターテイナーとしてのマイケルの遺志をスタッフが受け継いだもので、マイケル自身の表現といっていいだろう。








マイケルも50歳だからもちろん全盛期とはいえないし歌も踊りも100%ではないのだが、それでも、あれが100%でないこと自体驚きである。リハーサルなのに。
リハーサルだけでなく、楽器隊、ダンサー、ステージディレクター等の裏方と緊密にコミュニケーションをとることで自分のイメージを伝え、最高のステージを作り上げようとする真摯な姿にも終始見入ってしまった。あれを見ずして、マイケルが偉大だなんて知ったかぶっていた自分を心底恥じている。

もしライブが行われ、もし自分が観ることができたとしたら、きっと一生の思い出になったことだろう。しかし、マイケルが他界したことによってこうした映像が観ることができ、かえってマイケルの人物像をよりよく感じることができたことを考えると、皮肉な話ではある。








マイケルは近年、整形、ネヴァーランド、少年との関係、裁判など、メディアを通して断片的に気持ち悪いイメージで語られることが多く、エンターテイナーであるマイケル・ジャクソンの本質が見えにくくされていたが、この映画を観ると、きれいに筋が一本通った気がした。




例えば、映画から伝わる完璧主義者ぶりからすると、おそらくマイケルは、汚い、歪んだものを嫌う潔癖主義者でもあったと思われる。だから、純粋なものに惹かれた。ネヴァーランドであったり、少年であったり。そしてこれまたおそらくだが、マイケルは非常に自由な感性を持ちあわせていた。だから、相手が子供だろうが大人だろうが、男だろうが女だろうが、黒人だろうが白人だろうが、純粋なものを愛したのではないか。




マイケルが肌の色を白くしたのは、黒人であることをコンプレックスに感じた、あるいは厳格な父親のせいだというのが世間的な通説のようだが、個人的には、マイケルは黒人だけでなく、白人にもなりたくなかったのではないかと思っている。もっといえば、人種もわからないような顔になりたかったのではないだろうか。黒人であることを捨てたという自分への批判に対して、黒とか白とか関係ないんだと高らかに歌い上げたBlack Or WhiteのPVが思い出される。このPVも、下手なロックよりよっぽど政治的な主張があったんだなあと改めて思う。






また、潔癖主義者という点に関連するが、マイケルはことあるごとに地球環境破壊のメッセージを発している。私はそれが、偽善的な博愛主義に基づくものかと思っていたのだが、どうもそうではなく、心から環境破壊にムカついていたらしい。映画の終盤、マイケルがリハーサル終了後スタッフの前でスピーチをするシーンがあるのだが、そこで彼は、環境破壊の防止は誰かがやるでは終わらない、自分達がやるんだと力説していた。そこまではいい。驚いたのは、環境破壊を4年で終わらせると具体的に宣言したことである。


昔イギリスの音楽賞の授賞式で、マイケルのステージが偽善的だといってステージ上の子供の群れに乗り込んでヘナチョコ踊りを踊ったジャーヴィス・コッカー(ex.PULP)を思い出した。私も当時はジャーヴィス最高!とか思ったものでしたが、若いって馬鹿ですよね。つくづく。










突然だが、ここで妄想してみる。


自分は何人の人から愛されているだろうか。








・・・1人もいないかもしれない(笑)。





冗談だけど、じゃあ、何人の人から愛されたいだろうか。1人でいいという人もいれば、この人もいいけどあの人も・・・という人もいるだろう。しかし、何億もの人に愛されたいという人はいないはず。もしそういう立場になったら正気を保つので精一杯、ていうかクスリ使ったって無理な気がする。ショウビズ界に身を置ける人というのは、まずそれだけで常人とは何かが根本的に違う。だから、常人の尺度だけで考えてはいけない。








ここまでは大丈夫だろうか。では次。








同じように、自分は何人の人を愛せるか。1人しか無理だという人もいれば、やはりあの人もこの人も(ry

しかし、何億もの人を愛せる人なんてまずいないだろう。

しかし、マイケルはそれができる人だった。


私のような凡人の感覚からすれば、人は普通、せいぜい半径10メートルの範囲内のものくらいしか愛せない。ところがマイケルのような超人になると、地球全体にいる人、動物などすべてのモノを愛することができる。愛情のスケールが違う。少なくともマイケルは、自分のファン全てを愛していた。映画で真剣にリハーサルする姿を見ると、そうとしか思えない。リハーサルのための薬物治療とはつまり、ファンのための薬物治療であり、つまりマイケルはファンのために命を削っていた。渋谷陽一氏が才能のある者は我々凡人のために命を削る宿命にあるみたいなことを言っていたけど、マイケルがKING OF POPと呼ばれたゆえんもそこにあると思う。














同時に、身近な人をファンと同じようにしか愛せなかったのかもしれないけれど。











以上が、「This is it」を観た私の感想である。
内容のアホさはともかく、この字数の多さはマイケルの影響力のなせる業である。




私は「This is it」がマイケルを美化し、金儲けするだけの虚構であるとは全く感じていないが、仮にそうであっても一向に構わない。



結局ポップスの醍醐味は作られた虚構をいかに楽しむか、つまり、誰に、どの程度騙されるかを選択することにあるのであって、そしてそれは、人生の醍醐味にも通じるものだと思うからである。






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絶対誰も気づかないと思いますがdeathは不吉なので改名。
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