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昔,とあるエラーい憲法学者が,
「国民主権」の意義は「国民に主権がある」ことではなく,
「主権を有するのは(天皇など)特定の者だけではない」としたことにある。
・・・みたいなことを書いたのを読みまして。
当時はもっともらしいことを言葉遊びしているだけと思ったわけですが。
最近の大阪「都」や辺野古市あるいは集団的自衛権問題の根底にある,「国民に主権がある」的風潮を見ると,さすが昔の憲法学者は日本人の本質を見抜いた上で含蓄のある言葉を産みだしていたのだなと感心するしかない。
まず大阪から行きましょう。
反対派の各理由を一言で言うと,
1.愛着
2.面倒
3.わからない
さすが大阪です。馬鹿が50%強もいる。
橋下氏が何年もかけてアナウンスしてきたにもかかわらず,「何だかよくわからないけど面倒になりそうだし,市に愛着があるから反対」という,およそ政治的判断とは思えない理由で反対。
まあ,馬鹿だろうが利口だろうが多数派の意思であることに違いはない。
なーんて割り切らなきゃならない民主主義。くだらないと思うのは私だけですかね。
次,辺野古。
移設しても法的に何ら問題はない。
なのに強行すると,沖縄県民の人権を無視した政府はけしからんという世論が強まる(気がする)。
だからスッパリと強行できない。
あの知事はアメリカ基地を追っ払って中国に守ってもらおうとか考えてるお花畑なんだが,そういうこともよく考えずに基地反対戦争反対て感情的に騒ぐ一部の国民の顔色をうかがわなければならない。これぞ民主主義。
最後は集団的自衛権。
戦争に「絶対」巻き込まれたくないなら,結論は「認めない」にしかなりようがない。
こんなこと,わざわざテレビで憲法学者に御講義いただかなくてもわかる簡単な話。
しかしみんな忘れてると思うけど,日本人がISISに殺られた時点でもうすでに戦争に巻き込まれたようなもんですよ。
昔のようにアメリカに守ってもらいながら経済繁栄という一国平和主義は通用しない時代。
そんな時代で,いまだに「集団的自衛権を認めると日本が戦争をする国になる」とか短絡的思考をわめくのは恥ずかしくないのだろうか。
日本人が誰も犠牲にならないようになんて発想は幻想なんだと言える大人の政治家がいない。日本人の約半分が子どもなんだからしょうがない。
この先自分に子供が出来ても,このスタンスは変わらないかな。
よくいますよね。子供が出来た途端に意見変えちゃう人。
しかもその変説をカッコいいことのように語ったりするから気持ち悪い。馬鹿じゃねえのと思う。
変えてもいいけど恥じてね。
というわけで「国民主権」の意義は,「馬鹿に主権がある」ことではない。
えーと,その先が思いつかない。
とりあえず以上。
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